観る世界 Faile(17)「中間色談議」 2

前回は世相や人間関係に材料をとって、中間色についてお話をしました。今回はそのつづきで、季節の間に存在している中間色についてのお話をしたいと思います。

わたくしたちはそんな時期を持っているお陰で、せわしない時代にはなっていても、辛うじて息継ぎをするような、ゆったりとした生活をすることが出来るのではないかと思っているからなのです。

そんな視点から、変化する自然と、日常生活とのかかわり方ということについての、お話をしようと思っているのですが、とにかくわたくしたちは、慌しく生活をしているうちに、ついつい季節の変化に気を止めていないうちに、春から夏へ、夏から秋へ、秋から冬へ、そしてまた冬から春へと変ってしまうということがあります。しかしそれは、あくまでも特別な事情があった時のことです。通常は自然の中の微妙な変化にふと気がついて、「ああ、やっと春がやってきたか」とか「あっ、もう秋がきたのだ」という風に、季節が変っていくのを知らせるような前兆に気がつくものです。確かに季節というものは、決してある日突然、「はい、今日から春です」「今日からは夏ですよ」という風に、突然やってくるものではありません。もし現実にそんなことが起こったりするようなことがあったとしたら、それこそ不安で、とても落ち着いてはいられません。

通常は季節が変わる時には、必ずその前後に、前兆というものがあります。恐らくそのことを知らない者はいないはずです。それなのに昨今は、そうした自然の変化というものに、ほとんど関心を持たずに生活している者がいるようです。そんな無関心状態でいると、地球の自然環境が、刻々と悪化しているということにも、気がつかないままでいるということになってしまいます。そのためにわたくしたちの生活も、知らず、知らず、影響を受けていくのを、阻止出来なくなってしまうかもしれません。

季節は、じょじょに、じょじょに移り変わっていくものです。前兆というものが、さり気なく現れるものなのです。つまり季節はゆるやかに進んでいくのです。昔はそんなさり気ない変化に気がついて、それを楽しんだり、悲しんだり、いとおしく思ったりしていたものでした。

季節の移り変わりを捉えて、作業をしてもきました。

「土筆が出てきたようよ」

そんなことで、待ちに待った春がやってきたことを喜んだり、

「今日、赤とんぼを見かけたぞ」

そんなことを言いながら、そろそろ寒い季節が忍び寄ってきていることを、知ったりしていました。

昨今はそうした季節の変化ということに、無関心という人があまりにも多くなってきました。

気持ちが乾いてしまったのでしょうか・・・。

他のことに気を取られていて、気持ちをそらしているうちに、いつの間にか季節が移っているということは、よくあることです。特に時代の変化が激しくて、季節の変化までは気を使っていられないということもありますから・・・。

昔の場合はかなり情緒的であり、文学的だったのですが、現代の場合は時代の進展の仕方が早すぎるし、仕事ぶりも前のようにのんびりとはしていられなくなっているので、とても季節の変化などに気を使っているなんていう余裕もありませんせし 、神経を使ってもいられないということになるのかもしれません。しかしそれでも季節は、じょじょに、じょじょに変化していくのです。

まるで絵画や映像処理のグラデーションのように、原色のようなはっきりとして鮮やかな変化ではなくて、それはまるで中間色のような穏やかさで、じょじょに、じょじょに変化していきます。

多くの人は、季節の移り変わりを、自然に教わってきました。 忙しさに紛れて、気づかずにいても、いつの間にか季節は変貌しつづけてきました。

自然の変化というものは、ほとんど変わりなく、間違いなく、同じ頃現れたり、襲いかかってきたり、荒らし回っていったりしてやってきていました。それなのに昨今は、科学の発展によってもたらされた大気汚染が原因で、地上も、宇宙も、かなり自然破壊が進んでいて、国際的に問題になったりしています。これまでの自然の変化とは大分違った形で、力で、姿を現わすことがあって、いささか不安にさせられてしまうことが多くなってきています。

あなたは、そんな思いに駆られたことがありませんか。

つまりわたしたちが小さな頃は、まるで季節はグラデーションを楽しむように、ゆっくり植物に変化を与えたり、気温に変化をもたらしたり、昆虫、動物に変化を促したりしてきました。もちろんあまりそういったことに関心を持っていない間に、いつの間にか季節が変わってしまっているということもありました。しかしそれでも昔の人は、そういったことに対する感性が鋭くて、ちょっとした変化にもそれぞれの五官で、敏感に感じ取っていました。

「あつ、土手の斜面に土筆が出始めたわ」とか「蝶が飛び始めたじゃないか」とか、「何となく空がうるんでいるんじゃないか」いうことで、春の到来を知ったり、感じ取ったりしました。そんなことを言っているうちに桜が咲いてすっかり春を感じさせられます。夕立があったり、入道雲が現れたりして夏を感じました。そして赤とんぼが飛んで来たりすると、そろそろ秋がやって来るなと感じ取って、冬支度をしたりしました。決して季節は突然変るわけではないのです。

じょじょに自然が変化していくのに合わせて、生活の仕方もじょじょに変っていきました。そのお陰で、慌てて日常生活を変えたりしなくてすんできたのです。つまり生活が自然の進行と共にあったということです。

つまり一年の間には、中間色に匹敵するような時期があるのです。もしそんな中間色の時期を、失うようなことになってしまったら大変です。それこそ地球の温暖化現象の進行など、心配されるようなことが現実的になってきたことを知らなくてはなりません。

わたくしたちは四季の変化を持っていることに感謝するだけではなく、季節、季節の間には、わずかな時間ではあるけれども、中間色のような、穏やかな移り変わりの時を持っていることを、大事にしたいと思うのですが・・・。

前回は人間関係が曖昧なところがなくなって、はっきりとしてきたところはいいとして、それが次第に行き過ぎて、黒か、白か、賛成か、反対かといった言動を求めたりするようになって、中立的な言動を許さないようなところがあって、人間的な面にとげとげしさが目立ってきているということに、ある種の危惧を感じると言うことを書きましたが、今回はそういった中間色的な要素が、自然の中にも感じられるということが、お話したかったのです☆