観る世界 Faile(23)「時代を先取りするアニメ」

長いことアニメーションの脚本を書いてきました。

従って、アニメーションのいいところ、悪ところは、嫌でもお付き合いしなくてはなりませんでした。

私がアニメーションを書きだした頃は、まだまだ一般的には認知されていない頃で、なにかと少年犯罪の根源であるかのような言われ方をしていました。

少年少女の流行りも、みなアニメーションの影響だと言われてしまって、そうした脚本を書いている私としては、如何にも肩身の狭い思いをしなくてはなりませんでした。

それでもわたしは、どちらかというと、あまり顰蹙を買ってしまうような作品には、加わらないようにはしてきたのです。それというのも、ちょうどその頃、小学校へ行き始めた娘、幼稚園へ通い始めた幼い娘がいたからです。この子たちに、少しでも夢を与えてやりたいという気持ちがありましたから、「ウルトラマン」「アンデルセン物語」「ムーミン」などという作品が中心になっていました。

そのうちに次第にアニメーションの世界で仕事が広がっていって、「天才バカボン」という赤塚不二夫作品にかかわることになったのでした。

それにかかわる脚本家は、実に多彩で、それぞれの道でかなり異彩を放っている人たちでした。

年齢もまちまちです。若い人が多いアニメーションの世界では、珍しいメンバーだったのです。しかも赤塚作品のギャグの中にある毒に惹かれて参加してきた人たちです。私もそんな中に入って、かなり何か先鋭的なものが書けるのではないかと楽しみにしていたものです。

ところが実際に、脚本を書き出した頃は、あまりにも脚本家たちの尖鋭な創作姿勢が、スポンサーであった某製薬会社の方針に合わなかったのでしょう。プロットを会議に出しても、スポンサーサイドから、ボツを言い渡されることが、かなり多かったように思います。

もちろんしたたかな脚本家たちですから、そんなことにはまったくめげるようなこともなくて、制作プロダクションの企画文芸室の壁に、それぞれの脚本家のボツ・グラフなどというものを張り出して、楽しんでいたのでした。

通常は原稿がボツになったといえば、屈辱で、不名誉な話ですが、この時に限って、スポンサーからボツを命ぜられることは、むしろ誇らしかったくらいでした。

そのくらい尖鋭なものを書いているのだといった、気負いが満ち満ちていたからです。

スポンサーは、あくまでも売り出している商品を、親しんで、愛してくれるようにという意図で、赤塚作品のテレビ化を考えていたはずなのですが、その素材の中に含まれている毒気に気がついた鋭い脚本家たちによって、そのへんをえぐり出されてしまったのですから、かなり神経質になって、プロットの審査をしていたに違いありません。

ボツは次々と生み出されて行ったのでした。放送された数を遥かに超えた数がボツになったに違いありません。

ところでこんなにボツを記録しながら、みな苦心して書いていたのですが、小学校のPTAという父兄会では、当時は主題歌も「下品な歌ね」とやり玉に上がることが多くて、家内はいつも恥ずかしい思いをして帰って来ました。

「出来たら、番組から降りてくれないかな」

遠慮がちにそんなことを言ったのでした。

現代であったら、まったく万代にならない作品ですが、それでも当時は、かなり下品に感じられたのでしょう。

しかしわたしたちは、あの原作作品を利用して、ブラックユーモアを描こうと、意気盛んでした。

アニメーションはいつの時代でも、必ず世間の顰蹙を書くものを送り出してしまう宿命にあるようです。

少しは考えて作らなくてはとは思うのですが、しかしアニメーションにかかわってきたものとしては、多少庇ってやりたいと思うことがあるんです。

アニメーションは、いつでも若い人たちによる捜索で、時には時代を先取りして突っ走ってしまうことがあるということなのです。時に、顰蹙を買うようなこともあると思うのですが、時代をリードしようという若者の意気込みの結果なのだと、援護したい要素があります。

どうか、多少の行き過ぎは、お許し頂きたいと思うのです。もちろん、多少のという注釈つきですが・・・。そしていつか、そうした行き過ぎが抑えられて、真に若者の、時代に対する思いが表現されるよになって欲しいと思っています☆