観る世界 Faile(24)「カルチャー変革考」

昨年、奉職している京都嵯峨芸術大学の展示博物館で、「藤川桂介展」が開かれ、同時に大学で出版している「嵯峨芸術」という雑誌に、現代において無視できないサブ・カルチャーの代表でもあるアニメーションに関して、かつて大いにかかわりのあった私に、思うところがあったら書くようにという要望がありました。そこで早速、「アニメーションに未来はあるか?」という、いささか挑戦的なタイトルの一文を掲載することにしました。

長い脚本家としてのキャリアを通して、感じてきたことなどを中心にしてまとめたものですが、私がアニメーションでやろうとしてきたこと、疑問に感じてきたこと、これからこうあって欲しいという思いなどを入り混ぜたものでした。

もちろん昨今の技術的な進化の影響で、小生が指摘したものでも、すでに現在は変わったものもあるのですが、そのためにまた新たな問題を生んでしまっているということもあります。しかしほとんどは現在でも、まったく状況が変わらないままのものが多くて、情けなくなってしまう心境でもあるのです。

今回はその中で小生が提案したことの一ついである、商業ベースのアニメーションと同時に、芸術性を尊重したアニメーションというものを、アニメーション界は持つ必要があるのではないかということを書きました。

目下、日本のアニメーションは世界的な関心事とまで言われるようになっているのですが、その一方では所謂オタク文化とまで言われる、ちょっと本来の姿とは変わった方向へ進んでいるように思えます。それも決して悪いとは思いません。しかしそれがすべてになってしまうことには、ちょっと問題を感じざるを得ません。

何か足りないものがあるということを、感じるようになってきているのです。つまり何かバランスを失ってしまっているような気がしているのです。

別の言い方をするとしたら、商業ベース中心だけではなく、アニメーションの、よりよい発展の起爆剤となる人材を送り出すために、芸術部門を育成していくべきではないだろうかということなのです。そのためのコンテストを行って、誰でもそれに参加できるようなものを、作り出すことはできないだろうかということを提案したのです。

長い不遇な状態にあった状態から、ようやく日の当たるところを歩けるようになってきたアニメーションですが、そうかといってこのままでいいとは言い切れません。

やっと社会人にも認知されるカルチャーになりつつあるのですから、これからはサブ・カルチャーのサブがとれるような努力を積み重ねて、本格的なカルチャーとしての存在にしていく時が来ているのではないでしょうか。

これまでの伝統を守ることと、時代の変化に対応するための努力をしなくてはならないということが、実際に一つの動きとして現われてきていることが、歌舞伎、オペラという世界でも始まってきています。そういった伝統芸術を、無関心になりつつある一般市民に、親しみやすいきっかけを与えようとし始めています 。つまりこれまでは、最も壁があると思われてきた歌舞伎の世界で中村勘三郎の思いきった演目の決定や、演出で、観客の掘り起こしをしたりする努力や、オペラの世界でも、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では、ピーター・ゲルブ総裁の努力で、オペラの中継をネット世界中に配信するといった、これまで考えられないようなことを計画して実行したり、その舞台裏を著名な歌手によって紹介したりといったことで、市民との距離を縮めようとしています。

私の奉職する芸術大学でも、所謂、伝統的な芸術の追及をこれまで通り行いながら、時代の進化に合わせた新たな芸術やメディアの追及にも動かなくてはならないということで、努力をしつつあるわけですが、いずれにしても時代の変革に合わせて、それぞれの芸術の世界は、変革しなくてはならない時が来ているのです。

アニメーションも、世界の寵児になったのだから、それでいいのではないかと満足しきっていないで、サブ・カルチャーから、カルチャーとなるような努力をし始めなくてはならないと思っているんです。そのためにどうしても必要なのは、営業だけを目的にしたものだけでなく、そう言ったものは二次的なものとした 、芸術的な創造を目的にした作品を競えるような世界を構築していく必要があるのではないだろうか。

そうしたことを無視していると、歌舞伎、オペラの世界でも変わりつつあるのに、またまたアニメーションは時代遅れのサブ・カルチャーのままで生きつづけていかなくてはならないかも知れない。そんなことを、ひしひしと感じる昨日今日なのですが・・・☆



「嵯峨芸術」は、京都嵯峨芸術大学の広報部へ申し込むと、残部があれば、手に入るのではないでしょうか。