観る世界 Faile(25)「ベテラン考」

この数年来、いやでも飛び込んで来る話なのですが、脚本家のベテラン作家が、映像関係の学校で若手の指導にあたったり、大学で講演をしたりという機会があるようなのですが、気持ちよく超えんが出来て、学生たちも気持ち良く聞いてくれたという話が入って来ません。著名なベテラン漫画家が、さまざまな大学で講義をするということもありますが、結果はかなり苦渋に満ちたものになっているようです。

とにかく、そんなみなさんから飛び込んできた話に、あまりいいお話がないというのが、定番なのです。

現在、京都嵯峨芸術大学で教鞭を執っている私としては、とても無関心ではいられないような話ばかりで、いささか愕然としているのですが、それぞれの講師経験者の方々の話には、ある共通点があることに気がつきました。

大雑把にその要点を拾い上げてみますと、現代の若者像が浮かび上がってくるように思えますし、問題点も浮かび上がって来るように思えます。


学生が講義を落ち着いて聞いていない。

学生が長時間聞き入ることに不慣れである。

喋りだけで20分もつづけると、若い人は耐えられなくなる 。

講義中に平気で席を立つ者がいる。

講義中に携帯を出して、いろいろなことを始める者がいる。

講義の後で、質問を受け付けることにして呼びかけても、ほとんど声を上げる者はなく、すべてが終わった後で、個別的に学生たちはやって来るのです。高氏から聞くアドバイスを独占しようというのでしょうか。


ざっと書き上げただけでも、講義をする者に足して失礼な態度だなと思います。先輩作家たちから、貴重な話を聞いたりする機会がほとんどないのですから、こういう機会があったら、無理をしてでも聞いておくべきだと思うのですが、昨今は縦の線よりも、横の線を大事にしろという教育が浸透している所為か、どうも若者には、先輩たちの話を聞くという習慣が、ほとんどないのです。そんなところへ、いきなりさまざまなベテラン作家を呼んで講義をして貰うというのは、ちょっと配慮不足ということになるのではないでしょうか。

もし今の学生の傾向を知っていたら、先ず、講師を招聘する前に、講義を聞く準備をさせておかなくてはならないと思うのです。

そのくらい現代の学生は、じっと先輩の声に耳を貸すという習慣がありません。

それとこのところすっかり定着してしまっている、オンリーワンを目指すという風潮です。その精神を正しく理解できればいいのですが、ほとんどの若者は、人の言うことは無視して、自分流に作ることが、オンリーワンへの近道だと思いこんでいるということです。

何でも前の世代の作ったものを、破壊することだと早合点している者も多いようです。破壊をしたら、再構築してみせなくては、ただの破壊者として顰蹙を買ってしまうだけになってしまうということを教えてやらなくてはなりません。彼らは人の話を聞くはずがありませんし、その結果先人たちから、もの作りの知恵が受け渡さないままなのですから、自分だけ満足していて、見る側の気持ちはまったく無視した状態で満足しています。

そういった点でも、基礎力の低下がしきりに叫ばれている昨今ですが、このへんでちょっと我々ベテランと言われる者たちも、考え直してみませんか。

縦だけで繋がる弊害も充分に承知の上で、そろそろそれをいい形で受け渡していきたいものです。そうでないと、映像の世界に期待の持てる若手作家が、なかなか現れないということになってしまいます。

そして講師の依頼を受けられた方々も、ただ真正面からぶつかって行っても、なかなかその思いは通じ難いということを頭に入れておいて頂いて、聞かせるための工夫もしないといけないかもしれません。

何だか本末転倒のような気がするのですが、それが現代なのだと、慨嘆するばかりです☆