観る世界 Faile(28)「平泉展寸感」

拙宅近くの世田谷美術館で、「平泉展」が開かれるというので、京都へ向かう前に、鑑賞しておこうと、出かけることにしました。

小説の取材などで、よく東北へは出かけて行ったのに、平泉あたりを飛ばしていってしまって、いつかそのうちと思っているうちに、探訪の機会を失ってしまっていました。

その中でも、中心的な存在である中尊寺は、いつかゆっくり訪ねて行きたいと思いつづけながら、なかなかその機会に恵まれないでいました。

源義経ととのかかわりなどがあって、余計に興味深いものもあったのですが、その前にあの東北に、どうしてあのような強力な王国が出来上がったのかということに興味があったのです。しかしなんといっても平安時代の頃は、当然ですが朝廷は畿内にあって、すべてが平安京が中心になって動いている時代ですから、このような東北の王国とはいっても、それほど注目されるようなこともありません。

朝廷の注目と言えば、まつろわぬ民と言われて、忌み嫌われた、を中とした反朝廷群の方にあったようで、その他のことについては、それほど大きな関心はなかったのではないでしょうか。

そういった都での注目度の低さをいいことにして、平泉あたりでは、独自の文化圏を形成していったのでしょう。

展示物を拝見すると、これまで見た平安京の寺社などに寄進されている文化遺産とは、まったく違った印象を受けるものが展示されていました。

洗練されている作品の多い、平安京の仏像などと違って、平泉のそれは、何とも素朴さということでは、暖かさと優しさに満ち溢れていましたし、粗野な印象を漂わせるものには、円空のそれに似たナタ彫りという技法で制作されていました。私などは聖観世音菩薩像をはじめとして、かなりの数の作品に、大変清新な印象を受けましたし、衝撃的な鮮烈さを感じたのでした。

そしてその魅力というのは、ひょっとすると、都の影響を受けないことから、生まれるものかも知れないとさえ思ったのでした☆

「平泉展」入口の写真
中尊寺金堂内部の春の写真