観る世界 Faile(29)「マニュアルの功罪」

何かにつけて便利な時代になりました。生活をしていく上に不自由というものは、ほとんどなくなりました。

とにかく面倒なものには、ほとんどのものに、マニュアルというものがついていて、それを読みながら操作すれば、大抵のものは使えるようになっています。それにこのマニュアル自体も、投書は大変読み難いものが多くて、一体製作者は利用者のことを真剣に考えて書いたのであろうかと思うような、所謂不親切なものが多かったものです。コンピューター関係のそれは、どうも解説書を執筆するものが、理工関係者が多かったこともあって、文章で人に伝えるということに馴れていないこともあって、とにかく読み辛くて、マニュアルを読んでも、簡単に動かせるものではありませんでした。

しかしそれにしても昨今は、大変利用者に親切になったので、実に便利になりました。

しかしそんな時代の真っ只中にいて思うことがあるのです。

昨今の若者をみていると、まさにマニュアル時代だなと思うことに出会ってしまいます。つまり、何をするにしても、そこにマニュアルガあって、その通りにはこなすのですが、時に、それらのマニュアルと言えるものがそこに存在しない時のことです。 そんな時、若者の何とだらしのない状態をされけ出してしまうことか・・・。それまでの、格好いい振る舞いをみていると、そのあまりの落差に、愕然としてしまうほどです。

何につけても、いたり尽くせりで、面倒を見てしまって、何の工夫もしなくていい時代になってきています。もうそろそろ、そういった気配りは年配者に限って、若者にはもうちょっと自分で工夫しないと解消しないようなシステムにしたほうがいいのではありませんか。このまま工夫のない、若者が育ってしまったら、どうなるのでしょうか。

どちらかと言うと、面倒をみて欲しい年配者のほうが、大変困難な時代に生きてきたので、工夫は苦しくもない作業だし、そのためのアイディアも生み出すことができるという、皮肉な結果が見られます。

若者に、もっと困難を。

みんな、それを乗り越えてくるようにしよう。

マニュアルだけに頼る習慣を放棄しよう☆