観る世界 Faile(31)「作家と評論家」

最近、よくアマチュアの人でも、大変特撮、アニメーションなど、に詳しい人がいます。所謂、マニヤといわれる人は、昔と今ではとても比べ物にならないほど、凄い人がいます。

かつて逢いたいといって来た人たちのなかには、とても作家のわたしたちには、記憶にないことでも、すらすらと出て来るし、細かなシーンにいたるまで記憶していて、それを話題にして来るひいとたちがいました。その時は、どういう気持ちで書いたのかとか、どうしてああいう処理になったので可などと、訊かれたのですが、話としての大事なポイントであれば、もちろん脚本家として覚えていたはずなのですが、執筆作品が多かったこともあって、それほど細部についてまでは、覚えていないことが多いのです。

マニヤはその細部にこだわって迫ってくるので、大いに困惑してしまいました。

ふとそんなことを思い出していたのですが、昨今のファンは、とてもかつてのファンたちとは違うだろう。もっと作品の中身も複雑になっているし、そのこだわり方も、もっともっと複雑で進化しているに違いないでしょう。

ところが、それだけその世界に精通しているのであったら、そうした人たちから作家が飛び出して来るかというと、どうもそれは不可能なようです。

昔からその傾向は変わらないようで、知識をとうとうと喋ることは出来ても、そうした作品を生みだすことは出来ないようです。

わたしたち作家、脚本家の中にも、そういった人がいます。 確かにその世界のことには精通していて、よく業界のことは知っているのですが、それだけ凄い作品を生みだしているのかというと、どうもそうはいかないようで、単なるものしり作家、脚本家で終わっていることが多いのです。

やはり作家、脚本家は、評論家であっては駄目なんですね。 作家はあくまでも、話を想像する仕事ですし、評論家はその作品を分析したり評価をしたりする仕事です。

やはりそれぞれの分野での、役割というものがあるもののようです。

あなたは作家の道を行く人なのか、それとも物知りを誇りとする評論家になるか・・・。

昨今は、さまざまなところで、さまざまな○○検定などというものが盛んに行われていますが、物知りだけが増えていってしまって、想像力で生みだす作業に飛び込んで来る人が少ないのは残念だなと思う今日この頃です。☆