観る世界 Faile(41)「ムーミン時代の思い出」

私のアニメーション時代の幕開けになった作品といえば「ムーミン」という作品ですが、これを書いた頃、私は赤坂見附の一ッ木通りの裏手にあるアパートで仕事をしていました。まだ結婚してそれほどたってはいない時代でしたが、長女はまだよちよち歩きをしていたので、赤坂東急ホテル前の交番の前の小さな公園が遊び場で、よくそこへ散歩に出かけて子供を遊ばせていたものでした。

もう自宅であったアパートは、すっかり無くなってしまいましたし、その並びに歌舞伎俳優の市川猿之助の持っていた阿バートがあって、そこに住んでいる芸者が、夕方になると人力車が迎えに来てお座敷へ向かって行きました。

自宅前は赤坂不動の墓場という、変わったところでしたが、同じアパートの下には、ふぐ料理の店があったりしたところでしたが、今はもうかつての雰囲気はまったくなくなってしまいました。

ここには独身時代から十年近く住んでいましたので、正に青春時代の思い出がいっぱいの土地でした。やがてここで結婚して、子供が二人誕生して小学校までいたのですが、アニメーションの「新ムーミン」を書き始めた時は、暑い夏は避暑をかねて、子供を連れて自宅近くの赤坂東急ホテルへ入って、原稿を書いていました。そこへ原稿を取りに来ていたのが、後に「ガンダム」の脚本を書くようになった、星山博之君でした。あの頃彼はまだ虫プロの文芸の助手で、作家のところへ原稿を取りに来る仕事をしていたのですが、ホテルへ下駄履きでくるので、がーマンにいつもチェックされて、私はいちいち迎えに下へ降りていかなくてはなりませんでした。後に彼の結婚式へも出席したりして、長くつき合いがつづきましたが、もう彼も他界してしまい、若い頃の証人を失ってしまったということになりました。

思い出といえば、時々散歩して行ったのは弁慶橋を渡ってニューオオタニへ曲がるところにあった小さな甘味点でした。ここはあの高倉健と,歌手の江利チエミが極秘にデートをしていたところとして知られていたところでした。

赤坂時代は、思い出がいっぱいの青春時代でしたが、今回はほんのひと駒の思い出でした☆

赤坂東急ホテルの写真
交番前公園の写真
思い出の甘味店跡の写真