思う世界 Faile 10 「月の裏側考」

月探査機「かぐや」が打ち上げられました。

それによってこれまで謎に包まれたままであった月の裏側の様子が解明されるし、月誕生の謎を解明することもできるかもしれないという期待が、一気に膨らんでいますが、きっと月の女神のかぐや姫も、びっくりしていることでしょう。

月の誕生については、今のところ地球の引力に捕まった捕獲説、地球から分裂した分裂説、地球と同様に小惑星が集まった双子説、そして地球に別の天体がぶつかり、その破片がくっついた巨大衝突説などが言われていますが、まだ決定的な説はないようです。それだけに、今回の「かぐや」の打ち上げには意味があるのですが、謎の解明ということでは大いに感動しながらも、一方では、ちょっと残念な気持ちもあるのです。

近々中国、インドでも、探査衛星を打ち上げる計画があるといわれているのですが、「かぐや」は、月の裏側のデーターを中継したり、月から逆に地球が地平線から出る地球の出を、ハイビジョンで公開することも考えているようです。そんな中でアメリカなどは、やがて有人基地の建設をする計画があるとも言われています。

しかし・・・。

時代は進化の度合いが激しい超科学の開発に急かされるように、前へ前へと進んで行こうとしています。そしてそれに従って、人の気持ちも忙しなくなってきています。

科学は何でも解明できないものはないと、豪語する学者がありますが、あまり大袈裟なことを言うのは止めたほうがいいのではないだろうか。確かに時間をかければ、現在の科学の進化の度合いから判断すると、すべての謎は解明されることでしょう。しかしそれまでのプロセスを考えた時、いつも思い出すことがあります。

(科学は過ちを犯すものだ。だからそれを正そうとして前進していくのだ)

ある学者が言った言葉です。

どんなに科学は進化しても、完全ということはあり得ないはずなのです。間違いも犯すのです。絶対というものが存在しない限り、非科学的な想像の世界が存在し得るのです。その分だけ楽しめる余地が残されるのではありませんか。

何もかもはっきりとしすぎては、あまりにも味わいがなさすぎます

これまで月の裏側に関しては、謎に包まれてきました。

月はいつも、わたしたち地球へその同じ面を向けていて、その裏側を見せようとはしません。それだけに月の裏側はどんなところなのであろうかと、さまざま想像を楽しむ余地が残されているわけです。

しかし科学というものは、そうした未知の部分を放っておくようなしないのが常です。今回、月探査機「かぐや」を打ち上げて、長年の謎を秘めた月の裏側を調べようというわけです。その結果、月の誕生の謎も解明されるという成果が期待されることになるのですが、その反面想像力を楽しむという楽しみは、ほとんど消滅させられてしまうのではないかと、心配になってきます。 しかし昨今は、何もかも裸にしてしまわないと気が済まないようで、不明であることは許さないようで、とにかく何でも明らかにしてしまいます。

人間から想像力を奪い去ってしまいそうな、時代の勢いというものには恐ろしいものを感じざるを得ませんが、それでもなおわたしたちは、想像力を発揮していきたいものです。科学では証明しきれない世界が、きっと残されているに違いないからです。人間にはそれができる、科学が持ち得ない素晴らしい感性というものがあるのですから・・・。月探査の影響で、夢やロマンが奪い取られてしまっては、残念でなりません。科学での謎の解明は解明として、松尾芭蕉が奥の細道の旅で、松島で月を眺めるのを楽しみにしていたような、自然との対話を楽しむ気持ちを、いつまでも忘れたくないと思います☆