思う世界 Faile 14 「伝統を受け継ぐということ」

伝統を受け継ぐなどというと、如何にも古いことのように思われるかも知れませんが、この頃妙に気になることの一つになっているのです。

大学で生徒と向き合うようになってから、この若い世代の人たちに、何を残し、何を捨て去るべきかということを、きちんと教えていきたいと決心していたのですが、果たしてそんなことを、若い人たちが受け入れてくれるだろうかと、内心かなり心配しておりました。そうかといって、もしそうしたことの大事さというものを、伝えできないのであれば、改めて教鞭を執る必要はまったくないとも思っていました。

しかしそんなことを、あれこれと思い巡らしていることは、間もなく杞憂であることがはっきりとしました。した。生徒たちは、そうした話に拒否反応などを見せるようなこともなく、実に素直に聴こうとしてきましたし、信頼してついてきてくれるようになりました。もちろん、どの程度の理解度を持って聴いていてくれるのかは判りませんが、とにかく熱心に講義を聴いていてくれているということは、間違いないようです。

長いこと、こうしたことの空白期間があったのですが、世代が変わることで、そのうちわたくしたちの話を、真摯に聴いてくれる世代がやってくるという予感だけは持っていたのです。いよいよその時が来たように思えます。

いよいよわたくしたちの期待していた世代がやってきたという訳です。大いに心強く思いながら、講義をつづけているのですが、確かに時代は目まぐるしく進化していきつつあります。

その新しさに惹きつけられて、ますます伝統ということからは疎遠になって、関心も薄れていってしまうのではないかと思われがちです。

大雑把にいって、「伝統」といった時に、すぐ頭に思い浮かぶものといったら、どのようなものでしょうか。

多分。歌舞伎、能、狂言、文楽、華道、茶道、香道、などの文化的なものの伝統、大相撲、柔道、弓道、古式泳法、箱根駅伝のような武道における伝統、作法の流儀まで含めたら、まだまだかなりの数の伝統が存在しているはずです。これに全国で行われる、さまざまな年中行事もいれたら、それこそ数限りなくなるでしょう。

その様子がマスコミなどで賑やかに報道されたりします。

やはり文化的な伝統の中には、指導者がいてその精神的なものから教え込んでいくためか、それほど大きな間違いがないと思われるのですが、それでも世代交代で指導者も若手に変わっていくにつれて、大事な点も大分薄れてきている節もあるようです。それが日常生活の中で行われる年中行事ともなると、かなり昔とは変わってきてしまっていることがあります。 時代に合わせてという大義名分のために、容赦なく形を現代的にしてしまったり、やたらに過激なものにしたり、派手で目立つものにかわってしまったものが沢山あります。しかもそれは歯止めがかからずに、祭礼の場合などでは、あまりにも意気込みが高まりすぎて、喧嘩沙汰にまでなってしまうものもあるようです。大体、神様が荒ぶる勢いを好むというので、その結果喧嘩がつきものとは言われてきていますが、それさえもその原点をまったく知らずに、ただただ荒々しいのが誇らしくて、喧嘩沙汰にしてしまっている光景を見たりいると、情けなくなってしまいます。これは典型的なことなのですが、他の年中行事などでも、最近は形にこだわったり、形を壊していこうとしたりする傾向が強くなってきているように思えてなりません。 それでいいのでしょうか。

わたくしはそうしたことについて、最近、大変気にかかってきていたのです。つまり伝統文化にしても、伝統行事にしても、大事なことは何なのかと言えば、古来、先人たちは、どんな思いがあって、それを伝えてきたのであろうかということなのです。

つまり、先人の思いを伝えていくことに意味があるのであって、決して形が問題なのではないはずです。それを言うのは、あくまでも初心者にその世界のことを知ってもらう手引きとして、判り易く形で教えるということはあるとおもうのですが、少なくとも伝統を守るということで言えば、先人の思い・・・魂というものを伝えるということを、なおざりにはできないのではないでしょうか。 そろそろ、さまざまな分野での「伝統」というものを、真剣に考えてみる時がきているように思えてなりません☆