思う世界 Faile(53)「記録について」
どうもギネスでの記録が評判になってから、何でも記録、記録と騒ぐようになりました。
電池ロボットのエボルタが、単三電池で、東海道53次 ルマン走破、マッキンレー登攀、トライアスロン挑戦と、大変興味のある記録への挑戦を、次々と達成してきました。電池の力を見直す、脅威的なことだと思っていたのですが、そんなことをしているうちに、その記録への挑戦という話題が、そういった無機質なまのから、スポーツ界、芸能界にも飛び火してきて、その記録が盛んに取り上げられることが多くなりました。
ところがその頃から、私は一寸喜べない気分になっていたのです。
エボルタのように、電池の能力を試すという、科学の一翼を担った実験なら大いに賛同できるのですが、その対象が人間となると、ちょっとその見方が変わってしまいます。
体力、演技力、歌唱力などという能力に関しては、ただその記録にだけ焦点を当てて大騒ぎすることには、どうしても疑念を感じざるを得なくなってきていました。もっとも最近のことといえば、大相撲の大関魁皇が勝利数1100回という記録を打ち立てて引退しましたが、結局ここで、気力体力の限界がきたということでしょう。そこで彼は、潔く大相撲から身を引きました。
やはりあれ以上つづけたいと思っても、勝負の世界では、八百長相撲をやらない限り、記録とはいっても勝つことは難しいし 、そうなれば大関に留まることも出来ません。そのままずるずると負けつづければ、結局番付からも消えなくてはならなくなります。そこで、一番いい退け時を判断して、引退したわけでしょう
惜しむ声もありました。しかし無様な姿をさらけ出さないうちに、記録への挑戦を断ったのです。
私は、ほっとしました。拍手もして送りました。
ところが問題にしたい例が、芸能界にあります。
舞台の公演回数、コンサートの数など、盛んにその回数がマスコミの話題になったりするのですが、上演回数が2000回を記録した森光子さんの場合です。
芸能の世界では、絶対に記録などで競うようなことはしてはならないと思いますし、間違っています。
俳優であったら、その力量が最高にいい時があるはずで、それからは時間がたつにつれて、枯れた演技などといって、それなりの評価をされることもありますが、ある頂点を過ぎると、後は無残なことになってしまいます。演技力はもちろんのこと、体力も伴います。それをまったく無視して、やたらに回数だけに焦点を当てて持ち上げるのは、止めてほしいのです。やはり俳優としての、一番魅力的な時に、自ら退け時を考えて欲しいと思うのです。
最近では、歌手の二葉あきこさんが、潔く引退しました。 俳優は一番いい時に引退して欲しいと思います。
無残な姿はさらけ出さないで、終わって欲しいと思っているのですが、あなたはどう思うでしょうか☆