知る世界 「桂川日記」(5)「野狂の人 篁の墓」 1

京都というところは、歴史作品を書く者にとって、絶対に欠かせない取材地です。わたしもこんなに何回も通ったところはありません。「宇宙皇子」の舞台となった奈良の飛鳥地方と、「篁・変成秘抄」の舞台となった京都は、取材の数の多さでは双璧だったでしょう。

今回は「篁・変成秘抄」という作品を書くために、何度か京都へ足を運んだ時のお話をすることにいたしました。

小野篁といっても、ほとんどの方は思い浮かばないかもしれませんが、彼の父は「凌雲集」「文華秀麗集」「経国集」などにその歌が収められている、小野岑守という歌人で、嵯峨天皇を取り巻く文人の中でも能吏として知られていた人ですから、家柄もよかったこともあって、篁もとんとんと出世して、参議という高貴な地位にまで昇っていきました。そしてやがて、遣唐副使にまでなった人なのですが、とにかく不可思議な伝説がつきまとい、語りつづけられているのです。

篁が数奇な運命を辿り、謎めいた伝説を残すきっかけになったのは、実はその遣唐副使になった頃からのことでした。

遣唐使の四つの船・・・船団が玄界灘へ差し掛かった頃、激しい風雨に曝されてしまって、一行は命からがら引き返して来たのですが、その時副使である篁の船が堅牢であったということが判明したのです。数年後に再び遣唐使として旅立つ時のことでした。前回遭難しかかった時、篁の船が破損しなかったというところから、その堅牢さに眼をつけた大使の藤原常嗣は、それを自分に譲れと要求してきたのです。上下関係が厳しい時代のことです。「判りました。どうぞ」とすんなりと譲られるはずだったのですが、篁は違いました。

「何と言う身勝手なことを・・・!」

その専横ぶりを怒った彼は、病と称して命に従わなかったのです。たちまち、過去の経験から「長幼の序」という上下関係を大事にするようにと指導してきた嵯峨天皇の逆鱗に触れてしまい、隠岐島へ流されてしまったのです。

長いものには巻かれろという、当時の官人の気風からすれば、あまりにもそのような風習を無視した行動に出てしまって、島流しにまでなってしまった篁のことを、人は「野狂(やきょう)の人」などといって揶揄しました。つまり「変わり者」というような意味のことなのでしょう。

父の口添えでもあったのでしょうか、やがて赦されて京へ戻って朝廷の要人として活躍し始めるのですが、その頃から、参議という大臣クラスの大変高貴な地位につきながら、彼には奇行が噂されるようになったのです。当時平安京には、東の鳥辺野(とりべの)、西の化野(あだしの)、北の蓮台野(れんだいの)という風葬地があったのですが、篁は朝廷での仕事を午前中に終えると、東の鳥辺野にある六道の辻の珍皇寺という寺の井戸から入って地獄へ向かい、閻魔大王の書記官として一日働き、やがて夕刻になると、京の西の化野付近から現世へ戻って来るという噂が広がったのです。しかしそれにしても、大臣クラスの高貴な人にしては、あまりにも変わった噂ではありませんか。

どうも彼の島流しにあう前までは、或る程度確かな記録があるのですが、どうもそれ以後のことになると、不可思議な話が多くなってしまいます。もう朝廷の要人としての記録・・・日常生活に関してもほとんど残っていないように思います。

とにかくあまりにも現実的な人間的な記録と、あまりにも現実離れして不可思議な伝承を合わせ持ったキャラクターに興味を持ったわたしは、その篁を主人公にした物語を書こうと思ったわけです。

とにかく篁が地獄へ向かったと言われている東の鳥辺野付近も、現世へ戻った西の嵯峨野のあたりも、風葬地であったということに興味を持ちました。この東西を代表する風葬地が、入り口、出口になっているというのは、物語を作る設定としては面白いし、平安京を舞台としながら、地獄へも出没するところが、仮想現実の話を繰り広げるのにぴったりな伝説だと思いました。わたしはそんな彼に、もう一つ勝手に不可思議な設定を付け加えました。

それが「変成男子(へんじょうなんし)の法」によって、本来は女性として生まれるはずであったものが男性として誕生したということです。もちろん篁がそんな運命の人であったなどと言うことはありません。あくまでもわたしの勝手な創作です。

この「変成男子の法」というのは、平安時代に、男子の誕生を願う高貴な者や天皇が、妊婦に対して密教の高僧が行った性転換の秘法だったのです。実際に冷泉天皇とか、安徳天皇とかは、この秘法によって誕生した人と言われています。篁もそんな秘法によって、男子として誕生したと言うのがわたしの発想でした。

とにかく篁は、あの遣唐副使の時の、あまりにも意外な、と言うよりも常軌を逸した大胆な言動のために、恐らく大宮人からは、煙たく思われてしまって、あまり重要な作業にはかかわらなくなっていたのではないでしょうか・・・と言うよりも、かかわらせて貰えなくなっていたのではないでしょうか。そんなところから、彼は気ままに動いていたのではないだろうか。しかも「野狂の人」という変った言動のある人です。現世では理解し難い世界と繋がっている人なのではないかという噂が次第に広がって、地獄に通じるような話が、まことしやかに広がっていったに違いありません。

そんな篁を主人公にして「篁・変成秘抄」を執筆しながら、次第にその実像を追い始めてみたら、ますますその周辺には、謎めいたものが漂い始めてしまったのでした。それはまた次回のお話にしましょう☆

わに駅の写真
篁神社・高札の写真
小野篁神社の写真