知る世界 「桂川日記」(9)「祈りの都」

今年の夏のことです。五山の送り火を、NHKが生で中継しました。

東西と北の三方に屹立する山の麓あたりに住まう京都・・・つまり南を堰きとめてしまって、水を満たしたとしたら、間違いなく町は巨大な盆となってしまうであろうところが、京都というわけなのですが、その三方から囲うように並ぶ山が、五山の送り火の舞台となっているところです。如意岳に大。松ヶ崎に妙法。妙見山に船がた。大北山に左大文字。曼陀羅山に鳥居がたという山々に設けられた櫓に点火されて、その時の効果を盛り上げるために、町灯りも制限されて、闇があたりを支配する中での年中行事が行われました。これはしばしこの世へやって来ていた先祖の霊を、再びあの世へ送り返す行事です。つかの間ではありますが、先祖と共に楽しい日々を送ることができましたという、感謝の気持ちもあって、これからも現世の者の安穏な暮らしを、祈りに託して願うわけです。

京都はこうした御霊祭りの大変多いところで、それだけ町の人は、先祖霊を大事にしているところのようにも思います。もちろんこの御霊の意味するものは、先祖霊はもちろんのこと、歴史的な怨霊も含まれているわけで、こうしたあらゆる霊とのお付き合いが、大変深いところだと思っています 。

歴史に歴史が積み重なっている京の人にとっては、それだけいろいろな思いでこの世を去った人々の思いが、知らず知らずにしみこんでいるたに、自然に行われることなのかもしれません。

闇の中の五山の送り火を見ていると、いつか京というところは、祈りの町なのではないかと思いました。

平安京へ遷都する前後のことですが、桓武天皇は大変な怨霊の祟りに遭遇しています。そんなことが、先祖霊を大事にする御霊会(ごりょうえ)というものを盛んに行う習慣になっているように思えるのですが、その遷都前後の出来事というのはこのようなことだったのです。

平安京へ遷都する前、即位した桓武天皇は、平城京から長岡京へ遷都するのですが、この都を建設する責任者として指名されたのが、藤原種継、藤原小黒麻呂、佐伯今毛人という重臣たちなのですが、その中心人物である種継が遷都反対派の者によって暗殺された後、さまざまな奇怪な事件に襲いかかられました。そのきっかけになったのは、異母弟の皇太子、早良親王が、種継暗殺に関与したという嫌疑によって、淡路島へ流されることになってしまいましたが、断食の上で餓死してしまったのですが、それでも改めて淡路島へ送られたのです。親王の怒りはとても尋常ではなかったようです。その後起こったことは次のようなものです。

夫人、藤原旅子が死亡。生母、高野新笠、死亡。皇后、藤原乙牟漏、死亡。伊勢神宮、放火。新皇太子、病弱といった状態です。

早良親王の祟りは、如何に強烈であったかが判るでしょう。しかし桓武天皇は、即位する前後にも恐ろしいことに見舞われています。父である光仁天皇の皇后である井上内親王が、わが子を即位させようとして、天皇を呪ったという嫌疑で処罰したという事件があり、その結果即位して桓武天皇となったという経緯があったのです。

五山の送り火と言えば、かなり仏教的な色彩の大きいものですが、それは祈りの行事とも言えるわけで、それは平安京を開いた時から、桓武天皇自身の願いであったのではないかとも思うのです。

京都は祈りの都です。

写真はそんなことを考えながら、その象徴的なものを引っ張り出してみました。p「悲田院」は瀬病の民を救うために作った、平安時代の光明皇后の祈りの場でもあり、「葵祭」は国の安穏を祈る朝廷の大事な祈りの行事であったし、「さざれ石」は、国の永遠を祈る民の気持ちを表した歌によるものです

こうした京都市民の祈りの思いは、すべて月がくまなく巡って見届けています。

そのためにも、月が冴え渡る闇が欲しいのですがね。

現在ひそかに取材をつづけているところですが、そのうちどのような形で、本としてまとめることになるか、試行錯誤をしつづけているところです☆

悲田院跡の写真
葵祭りの写真
下鴨神社のさざれ石の写真