知る世界 「桂川日記」(17)「京都、一年」

東京と京都を往復しながら、世代がまるで違った若者たちと出会い、彼らの活力をもらいながら、何とか無事に一年が過ぎました。

今、思うと、あっという間の一年でした。

何もかもはじめての経験で、大学という組織についてもほとんど知識がなく、教授という仕事に関しても、ほとんど知識がなかったので、はじめはとにかく新たな作業に馴れることが精一杯で、とてもじっくりと周囲を観察することも、やっていることについてもじっくり検証する余裕もありませんでした。

しかし先ず第一に不安だったのは、教える内容のことではなく、生徒との距離感というものでした。生徒たちとの間に、距離感が生まれてしまうと、伝えたいことも思うに任せず、どのようなことになるか判らないという不安というものでした。

ところが大丈夫かなと思ったのは、二か月ほどたった頃、様子を見に来た教授が、休憩時間に話しかけてきました。

「先生の教室は、欠席があまりいないのですね」

これにはびっくりでした。

説明によると、他の教室は、欠席者が大分いるということなのです。

そう言われて見てみると、確かに教室は、いつもいっぱいだなと思いました。必修科目なので、あまり欠席をしていると、単位を落とすという心配があるので、欠席が少ないのだろうと思いましたが、助手に様子を聞いてみると、わたくしが出す課題に取り組む生徒の反応は、とにかく真剣そのものですということでした。

改めて生徒たちを見てみると、教育関係の外部にいて聞いていた、今時の学生の様子から判断すると、見当が狂うほど真剣なのです。

マスコミの報道によると、授業中に携帯電話で話をしているような不謹慎な者がいるということが、若者批判の中心になっていたのだが、少なくともわたくしが接している生徒には、そういった不埒な者は一人もいません。大いに気を良くしているところなのですが、携帯と言えば、課題を出して答案を書かせる時に、生徒が一斉に取り出したものが携帯電話でした。この時は、一瞬わたくしも強張りましたが、実は彼らはみな辞書代わりに携帯電話を使って、漢字の変換を行っていたのでした。時代ですね。昔のように、辞書などというものを持ち込んでくる者は、ほとんど見かけません。まぁ、この程度のことは、多めに見ていてやろうと思いましたが、わたくしが教授生活に自信を持った最初の出来事は、そんなことからでした。そのきっかけとなったのは、彼らが幼少の頃親しんだ、特撮テレビ作品の「ウルトラマン」アニメ作品の「ムーミン」などを、わたくしが書いていたということなどが、世代を越えて橋渡しをしてくれたのでした。お陰さまで、生徒とわたくしとの距離感は、あまり広がらずに、むしろ大分近づいてきつつあると感じ取ったのでした。

ところが、ちょっと問題だなと思ったことがありました。 昨今は実話主義の時代で、物語性を拒否してからもう20年近くたちました。そのために若い人たちから、想像力が大変貧弱になってきてしまったことに気がつきました。どんな課題を出しても 、極めて現実的な表現しかできないのです。彼らにとって、イマジネーションを押し広げていくということは、大変こんな作業のようです。

時代が厳しく、熾烈であることから、その中で生き抜くためには、とても夢を楽しむなどという余裕はないと思います。だからこそ想像力によって夢を追手欲しいのですが、とにかく目の前のものを見るのが精いっぱいなのでしょう。考えることがほとんど現実的なのです。何もかもが慌ただしく行き過ぎてしまう、せっかちな時代なので、周囲をじっくりと観察することについても 、実に希薄で情けない状態です。想像力を欠くというのは、ひょっとすると、そうした観察力の欠落が原因になるのかもしれません。それを指摘した時、彼らの反応が、実に頼りないのはどういうことなのだろうかと思いました。

それぞれが起こった事象から推測して、その実相を推理していくということに関しても、彼らは想像を超える幼さで、子供っぽいのです。わたくしたちの大学一年生の頃などは、いろいろな点で、もっともっと大人っぽかったように思いますが・・・、いや、みな大人っぽくなろうとしていたように思うのですが、そんなことと引き比べてみると、とにかく幼くて、可愛いと言えば可愛いのですが、実に頼りないものを感じざるを得ません。

そんなことから、わたくしはまた、ある課題を出して、書いてもらうことにしました。

「自分たちの世代は、どういう世代だと思いますか?」 という問いかけでした。

これにはほとんどの生徒が同じような回答をしてきました。

どうやら彼らは、公私ともどもさまざまな点で、庇われてきた世代です。彼らは少子化のはしりで、親から、大事に、大事にされて成長してきましたし、学校では所謂ゆとり教育の世代ですから、これまた庇われてきましたから、まったく無理をしないし、頑張るということも、まったくする必要がない生活をしつづけてきたわけです。その分、大変気持のいい生徒が多く、教師と生徒の対立などという問題は、起こりえないように思えました。そんな彼らが、自ら企画してイベントをやるのですが、とにかくお祭りが大変多く、ほとんどが自治会が中心になって進行しておりましたが、明るくて、伸び伸びとしていて、楽しさが溢れていました。こうしたイベント関係については、まったく抵抗は感じませんでした。まさに青春だなと、微笑ましく見ておりました。

しかし・・・大事に、大事に育てられてきたゆとり教育世代には、長年叫ばれてきた弊害がありました。意欲の欠落から学力の低下を生み、それが原因での差別を生んでしまうようになってしまいました。教育関係者からばかりでなく、さまざま関係者から、教育の改革が叫ばれるようになってきました。とにかくゆとり教育の影響で、目標を見つけ出し、積極的に、何かに取り組むということを、ほとんどしないで済ませてきたために、どうしても、何とかしようと頑張る覇気がないのです。大変、おっとりとして、変に先走ったりもしないので、現代の若者の中では落ち着きのあるほうだとはおもうのですが、果たしてあのようなおとなしい状態で、熾烈な社会の中での生き残っていけるのだろうか・・・。そんな心配をしたほどでした。

ただ、こうした世代になって、ようやく我々の伝えようとすることが、やっと素直に聞いてくれるのではないかという、かすかな希望も持ったのでした。まさに「京都、一年」は、わたくしにとって、不安、戸惑い、希望と、さまざまな体験を積み重ねた、記念すべき一年になったというわけでした☆

嵯峨芸大の春(校舎と桜)の写真