知る世界 「桂川日記」(21)「学生たちの熱意」

九月二十三日から、大学の展示博物館において私のアニメーションから小説までという展覧会が開かれ、十月十二日まで一般公開されています。

本来は学生たちに、多少でも刺激にして頂こうというのが目的でしたが、もちろんこれからでも充分に間に合いますから、一般の皆さんにもご覧頂けるといいなと思っていますが、この展示のために集まってくれた学生たちの姿を見ているうちに、大変感じるところがありましたので、そんなことなどを書いてみようと思います。

昨今の若者については、とにかくしらけていて、自分にとって興味のないものや、自分に関係のないものについては、まったく関心を持ったりはしないし、尚更のことこうしたイベントに参加するなどということもないといわれています。絶えずそんな話を聞いていたので、果たして「藤川桂介展」などといっても、学生はどんな反応をするのだろうかと思っていました。とにかく今回の展覧会は、私が素材であって、陣頭指揮を執るわけではありませんから、一体、どのようなことになるかと、見当もつかずにかなり不安な気持ちでおりました。要求に応じて、素材となるものを、何度から引っ張り出して、大学へ送るだけでしたが、展覧会のスタートする前日に様子を見に行ってみたところ、学生たちの展示を行う姿を目撃して、大変心打たれるものがありました。 それはかなり予想外な姿だったのです。

指導される教授は存在していましたが、すべてはあくまでも学生の発意によって作業は進められていたことを知ったのです。担当教授は、あくまでも高所から見ているだけということでしたが、学生たちはそれぞれ担当を決めたうえで、私の作品の展示の仕方について苦心しているということでした。

ラフな格好で・・・つまり労働着で、汗をかきながら、せっせと立ち働いている姿を見ていると、昨今、よく耳にするような若者の姿は当たらないという気持ちになりました。少なくとも、興味があることだから、あれだけ乗って作業に打ち込めるのだろうかとも思いましたが、しかしその夢中になって取り組んでくれている姿をみていると、作業をする目標を、自分で選択しているということが大事なのではないかと思います。昔のように、すべてを上からの指示で、興味外のことでもやらされた時代とは違って、自分で選択をしているということは、大事なポイントであると思ったわけです。もちろん嫌でも先達の指示する作業をやってみるということも、将来の布石としては大事なことではあるのですが、現代ではまず学生の意思を尊重すること、それによってやる気を起こすということが大事なことのようです。

私はそれでいいと思います。

その結果がどうであったか、その総括をする人が指導者の作業で、結果についてのアドバイスをすることで、次の作業に活かして活かせるということが大事だと思うのです。

多少、時間はかかると思いますが、昔の教育との差を、この展示作業の中から学んだことでした。

若者は、ただしらけてはいない、無関心でもない。魅力的な目標が見つかり難いのではないだろうか。あまりにも目標として身の周りに現れるコンテンツがありすぎるので、その選択に困惑してしまっているのではないだろうか。

私たち先人は、そんな彼らに選択を容易にする、あるヒントを与えてやることだと思いました。そしてその選択に従って、時々指示をしてやることだと思いました。あくまでもその作業をするのは、学生本人であるということを、私たち自身が自覚していないと、とんでもない判断をしてしまうなと、改めて感じたのでした。

「藤川桂介展」は、まだつづいていますが、来年もまた別の企画で開催しようという話もあります。今からでも、是非、お時間がありましたら、京都探訪のついでにでも、ご覧頂きたいと思っているので、敢えて書くことにしました。楽しみが、また一つ増えたような気がするのですが・・・。

ちなみに、今回の展示で、来館者の第一号が、先生に引率された小学生たちであったことは、意外な出来事でありましたが、いつか、何らかのきっかけとなってくれたらとも思いました。☆

永井・松本氏挨拶と似顔絵の画像
藤川展前夜の写真 その1
藤川展前夜の写真 その2
来館者第一号の写真