知る世界 「桂川日記」(28)「月と京都」
京都へ通っているうちに気がついたことの一つに、月を愛でるところが、かなり多く存在しているということでした。
恐らく東京にしても、大阪にしても、名古屋、福岡にしても、京都ほど月を愛でるための場が、敢えてしつらえられているところは存在していないでしょう。
京都というところは、実に月を鑑賞するのに、絶好の場所なのです。
そのためにわざわざ月見台というようなものが作られている、寺社、邸宅、離宮、仙洞御所が、何とおおいことか・・・。
そんなことを考えていると、この京都の前身であった平安京、そして更にその前身である山城の国と辿って行くと、ここに拠点を構えていた秦河勝の意図に辿り着くのです。
一体、彼は何がよくて、この京都を拠点として開拓をしていったのであろうかということなのです。
いろいろと調べた結果、この秦氏は朝鮮半島から渡って来た人だったのですが、彼の生まれた新羅国の神である八幡神は、月だということが判ったのです。その証に八幡船の旗印には、月が描かれていることから推測されることでもあるのですが、それでは、ただ月が美しいから・・・つまり月神が存在するからということだけで、山城国を拠点にしたのでしょうか。
前にも書いたことがありますが、京都はその三方に山を持っているのですが、そのどこから見ても月が美しく見えるところですし、月・・・ツキは必ず巡ってくるものです。
そんなところを、秦氏はやがて桓武天皇に、遷都の場として提供することを約束するのです。
それには、一体どんな思いが籠められていたのでしょうか。とても、ただ月が美しいからというだけであったとは思えません。
どうも彼の魂胆は、そんな単純なことではなかったように思われるのです。
ここに御所を築き、そこに天皇陛下を迎えることが目的だったのです。
天皇は、天の白王と書くとも言われます。つまり月を体現する存在なのです。陛下とは、宮殿のの下で、月の啓示を聞く人という意味でもあるのです。
真にとして、臣民を率いていくために、間違いない政治を行うのに相応しい場が、山城国だと考えていたわけです。
しかも天皇は自らを呼ぶ時、「」と言いますが、この「朕」という字を分解すると、月が地球、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星という八つの天体を率いている者という意味にもなるのです。
秦氏はそういう意味で、平安京を実現して、そこに天皇を招くことで完結するのですが、それ故に皇族、貴族たちは、美しい月を愛し、その霊威を受けるところとして、最高の場を邸宅の中に作っていったのです。
それがあちこちにある、月見台というものではないでしょうか。
ちょっと上げただけでも、桂離宮、修学院離宮、銀閣寺はもちろんのこと、美しい月が眺められる月見台を持ったところ、月見のための邸宅が、多く見られます。
そんな勝手な推測をしているところなのですが、どうでしょうか。
京都というところは、そんな意味でも、かなり興味深いところであることは、間違いないと思います。
どうか昼の京都を見て回るだけでなく、是非落ち着いて夜の京都を堪能して貰いたいものです。
今、わたくしは、そんな謎に満ちた京都を素材にしたお話を執筆中です。☆