知る世界 「桂川日記」(31)「修学院離宮とベルサイユ宮」

もう大分前のことなのですが、家族を連れてヨーロッパ旅行をしたことがありました。その時の目玉の一つは、ルーブル博物館と並んで人気のある、フランスのベルサイユ宮殿でした。ルイ14世と王妃マリーアントワネットとの華麗な暮らしぶりは、多少でも歴史を追ったことがある人であれば、あのフランス革命前後の、時の流れに翻弄された人々ということで知っていることでしょう。

わたしはその頃の宮廷を舞台にした「幻想皇帝」という小説を書いていたのですが、実はその取材を兼ねた旅行だったのです。 とにかくこの宮殿を背景に、さまざまな貴族、貴婦人たちが繰り広げたドラマを知っていましたから、実際にその場に建ってみると、感慨深いものがありました。

しかし今回は、そう言ったことのお話ではないのです。 実は王妃マリーアントワネットが、その広大な庭園の中に、劇場を造ったりして楽しんだということは知られていることですが、意外だったのは、その庭園の中で、農園を作らせていたということを知った時でした。

贅沢の限りを尽くした生活をしていた彼女を考えると、ちょっと場違いであり過ぎるのではないでしょうか。

しかし贅沢三昧の生活をしているから、多少でも懺悔の気持があって、そんなことをやったのかも知れないと受け取っていました。

ここでちょっとタイムスリップして現代の話にします。

わたしは今年、京都の修学院離宮を参観しました。

もう大分前になりますが、イギリス王室からチャールす皇太子と皇太子妃・・・日本の皇太子(現天皇)の案内で、ここの池に船を浮かべて遊んだというところですが、ここは周辺の自然を変えて作られたところではなく、逆に周辺の自然をそのまま庭園の借景として利用するという、実にスケールの大きな規模で作られている離宮です。

制作者は、後水尾天皇です。

天皇は退位したあとで、上皇としての活動を始めるのですが、彼はここで、妻の徳川秀忠の娘、和子(まさこ)と共に、退位したあと、町民の中の芸術家を招いて、文化サロンを開いて、さまざまな藝術、文化の交流と、保存に力を注いでいたというところです。ところがこの山あり谷あり、池ありと、自然を活かした広大な敷地の中に、不可思議なことに農園があるのです。御所の責任者の説明によると、あのあたりの農家の方に頼んで、離宮の中で農作業をして貰っているというのです。

なぜ・・・。

ベルサイユ宮殿でも、修学院離宮でも、農民にその宮殿、離宮の中で、農作業をさせているということなのです。

こうした共通点を、どう考えたらいいのかと思っていたところ、親しい方から、いいアドバイスを頂きました。

画家のゴッホも日本の藝術・・・浮世絵に影響を受けていたということと同じようなもので、マリーアントワネットも日本の生活をかなり知っていたというのです。あの宮殿内で農地を経営させたのは、日本の暮らしの風景を知っていたからで、どちらが先かと言われたら、それは日本のそれだったのではありませんかということでした。ひょっとすると、それも正しいではないかなと思ったりしているのです。

マリーアントワネットも、日本に憧れていたのだなと思うと、妙に親しみを感じてしまうのですが、やはり彼女たちのような贅を尽くした生活をしている者には、農民の暮らしのような素朴な姿が、魅力的な姿に映るのだなと思ったのでした☆

修学院表門前の写真
修学院風景の写真
祇修学院庭の写真
修学院田園の写真