知る世界 「桂川日記」(55)「京都というところ」

京都というところを歩くと、表向きには、まったく変化を感じないのですが、歴史的な場を求めて歩いたりすると、たちまちあることに突き当たります。別のいい方をすると、発見があるということにもなるのではないでしょうか。つまり表面に現れているところの下には、かつての歴史が積み重なっているということなのです。

それだけこの京都というところは、長いこと権力闘争の舞台となってきたのですから、当然といえば当然ンおことなのですが、散策をしていると、あちこちに史跡であることを記した掲示板が出てきます。それを読んでいると、大体現在の建物の下には、少なくとも歴史的な事件で知られているような史跡が埋まっているということを知って、愕然としてしまいます。

交通機関がバス中心になっているのも、実はこうした歴史的なものが埋まっていて、無造作には開発できないことによるのです。下手に路上電車、地下鉄などを開発することもできません。

そういう点では、大変厄介なところなのです。

しかしちょっと楽しみ方を工夫すると、史跡案内の掲示板を読みながら、夢をみることも出来るのです。つまり歴史を追体験してみるのです。

こんな風にして散策することを、お勧めします。

最近、私は伊勢へ天皇の身代わりになって行った斎宮の住んだという屋敷跡を探索していきました。ところがそこは、当然ですが、今は高校になっていたのです。

斎宮の屋敷のあった頃の様子は、デジタルで復元してあるところあるので、余計に夢が見られます。

ここは、地下鉄の真上で、駅を降りて地上に出たところが高校でした。正に歴史の上に載って、高校が存在しているわけで、在校生はどのくらいそうした平安時代の夢を見ている人がいるかなと、いろいろ想像しながら帰ったのでした☆

西京高校の写真
斎宮跡の写真