知る世界 「旅雑記」(10)「尾瀬散策考」

とにかく歩くことに、まるで無縁できました。

映像時代は乗用車を運転して飛び回っていましたし、小説に変ってからは、あまりにも大きなベストセラーになってしまったこともあって、出かける時は出版社が差し回してきたハイヤーで動いていましたから、徒歩でてくてくといった経験がほとんどありませんでした。

今回のようなお話を書くきっかけになったのは、やはり衝撃的な事件がきっかけでした。要するに思いがけない多発性脳梗塞というものに見舞われて、入院せざるを得なくなった経験から 、とにかく生活を変えなくてはならないと決心したからでした。

あれは2001年のことだったと思います。医師から出された病因は、ストレスとタバコでしたが、作家としてストレスは避けられないことですが、まぁ、仕事を減らして、その負担は軽減することはできる。しかし問題は、チェーンスモーカーであったタバコを、どう止めるか、止められるかということでした。これまで読者に誓いながらも、なかなか止められずにきたこともあって、大変不安だったのですが、とにかく入院をきっかけに努力した結果、意外にも大した苦労をせずに禁煙に成功してしまったのでした。

さてこれからは、適当に運動をしなくてはならないと思っていました。

そんなところへ、いい企画が持ち上がったのです。

わたしが大学時代に所属していた「放送研究会」には、現役と同窓生が合同で、「放研三田会」という組織を結成していて、年に1〜2回さまざまな散策を楽しむ会を行っています。もちろんこの会には、スケジュールの関係で、ちょっと現役学生は参加しにくいかも知れません。従って卒業生が中心ということが多いことになるわけ(?)ですが、こうした散策の企画に参加したのは、はじめてのことでした。これまでは、お誘いがあってもなかなかスケジュールが合わないこともあって、ほとんど欠席ばかりであったのですが、とにかく倒れてから一年後、一応回復の状態を探ってみようという意図があって、テストを兼ねて参加してみることにしたのでした。付き添いを兼ねて家内が同行しましたが 、彼女は若い頃、かなりあちこち登山をしてきた経験があったので、どちらかというとわたしよりも張り切っていましたので、心強い介護者のつもりでおりました。

今回は、その時の記録と体験談です。

大体、若い時から、山登りは趣味の内になかったのと、病後のことでもあり、とても自信はありませんでしたが、同期生、先輩が、「大丈夫だ」と励まされて、いささか簡単に考えて参加してしまったのでした。

「参加してしまった」というのは、山を歩いたことがなかったので、いささか計算違いがあったということです。

一人で気ままに歩くこととは違ってとにかく団体です。健脚な仲間から離れてはいけないと、必死で歩きましたが、とにかく自分の都合で休んでいるわけにもいきませんから、多少辛くてもついていかなくてはなりません。もし途中でギブアップしたとしても、休めるところも、泊まるところも簡単には見つかりません。

あの時はいささか情けなくなりましたね。

しかしそれにしても、山に馴れた先輩や同僚が付き添っていると言うことは助かります。何本も杖を用意してきてくれていたりして、女性やわたしのように病み上がりの者に貸してくれたり 、前後を見張っていてくれて、脱落者がないように気を使っていてくれました。お陰で、何とか迷惑をかけないで旅を終えることができたのでした。

ツアーコンダクターも同窓生ということで、バスで移動中も、実に気楽で楽しい旅行でしたが、何といっても歩いている間の、先輩、同僚の気遣いで、勇気づけられたことは有難かったことでした。

昔から「尾瀬」というのは、夏になると耳につく地名で、特に「夏がくれば・・・」という歌と共に、「水芭蕉」と「尾瀬」は切っても切れないところですが、残念ながら秋だったので、歌に歌われる雰囲気は味わえませんでしたが、きっと今は老若男女のツアーが、どっと押しかけていることでしょうね。

とにかく学生時代の仲間と一緒というのは気が楽なもので、そういう中には、その道のエキスパートがいるもので、自然保護に努力をしている同窓生が、途中であたりの自然環境についての説明があったりして、日常生活の中では得られない知識も得られたりいたしました。家内をはじめ主婦の参加者は大感激でした。

あれからすでに6年余の時をへて、他にどこも悪いところがないという診断であったこともあって、現在はすっかり健康を取り戻して、ウオーキング、サイクリングと、時間があるかぎり、体を動かすようにしておりますし、週末には仲間と共にテニスを満喫しております。

もしあのように倒れなかったら、このような企てに参加して歩くなどということもなかったでしょう。まさに「一病(いちびょう)息災」なのだなと思ったものです。

もしあのようなことがなかったら、ウオーキングもサイクリングもしなかったかもしれません。そして現在の健康状態にも、自信がなくなっていたかもしれません。ものは考えようですね。現在は京都嵯峨芸術大学メディアデザイン学科の客員教授として、若い人々と交流しながら、また歴史の故郷から貴重な素材を、取り込んでいるところです☆

全員終結の写真
散策開始の写真
みんな並んで歩いている写真
休憩の写真
道中、講義を受けている写真
いい眺めだなと感じたときの写真