知る世界 「旅雑記」(13)「シギラの月と宮古島」(3)

宮古島取材は、月に一回つづけられましたが、それというのも、小説の出版予定が決まっていたからだったのです。

羽田から飛行機を利用して3時間、南国の島へ到着するのですが、直ちにレンタカーを駆り出して活動を開始しました。

宮古島は東シナ海と太平洋がぶつかりあうところで、その景観にはかなりみどころのあるところですが、島の大きな特徴としては、川というものが存在していないということなのです。

川がない。

わたしたちは実に不可思議な気持ちになったものでした 。

それでは島の人はどうやって生活水を得ていたのかという疑問にぶつかってしまいます。

実は地下水盆といって、地下に雨水が自然にろ過されて、貯蔵されているのです。

現在はその地下水盆からポンプでそれをくみ上げて使用しているのですが、その理由(わけ)を知るには、この島の成り立ちについて知っておくべきでしょう。

昔々このあたりで、海底火山の爆発が何度もあって、宮古島とその周辺の群島が誕生したのですが、実は珊瑚でできた島だったのです。それが長い長い年月をかけて今日のような形に落ち着いたのですが、川がないのも、そのあたりに原因があるのです。そのために雨が石灰質の土地を通過してろ過され、地下に蓄えられていったわけなのです。そのためにその地下水盆に蓄えられた水が、崖っぷちから海へ流れ出ているところがあります。古い時代では、男は海で漁をし、女性はその危険な崖っぷちから生活水を得るのが務めだったようで、大変な作業だったろうなと推察しました。

島の目だった特長としては、こうした川がないということの他に、なぜかハブが存在していないということがあります。

沖縄というと直ぐにハブを連想すると思うのですが、とにかく宮古島の群島には存在しても、その本島である宮古島にはまったく存在しないのです。

実に不可思議な現象ですが、これなどは、昔々・・・多分150億年前頃に繰り返された火山爆発によって、生態系がかわってしまったことによるのでしょう。

不可思議な減少というと、シギラという女性と恋に落ちながら、台湾へ帰らなくてはならなくなってしまった使節が、毎年春の大潮の日に消息を知らせると言って立ち去るのですが、翌年からその季節の頃となると、大量の竹がシギラ浜へ流れ着くようになり、やがてそれは一つの伝説になりました。彼女との約束をそんな形で果たしてきたのでしょう。それだけでも大変創作意欲を刺激されましたが、協力をして頂いている博物館長も、そんな不可思議な現象を目撃したことがあると証言されましたが、一体、その竹がどこからやって来るのかまったく判らないと言うことでした。しかし宮古島にはこの他にも不可思議な現象・・・毎年三月近辺の大潮の日に、海底から幻の島が浮上するということが起こるということが言われているのです。(八重干瀬)・・・(やえびし)(やびし)という現象です。

取材をつづけながら、いろいろな不思議体験をしていきましたが、その中で最も感動的な現象でした。幸いわたしはその島へ上陸する機会を得ることが出来たのですが、かなり広大な島が浮上して来て、そこへ上陸することもできるのです。

実に不可思議な気がいたしました。

小説「シギラの月」のラストシーンの構想は、この時に発想したものでした。

とにかく海底から島が浮上するという神秘的な現象は、実にロマンを掻き立ててくれますが、あからさまに言えば、大潮で海水が引いて行くので、島が浮上してきたように見えるだけなのです。しかしこういうことは、あまりシビアな見方をしないで、夢想を楽しんだほうがいいのではないでしょうか・・・。そんな気持ちの人も多いようで、毎年この時期になるとかなりの数の観光船がやって来て賑わいます。

大きな島、小さな島が浮上するのですが、この一つ一つの島には名前がつけられていましたが、それはある日のこと 、博物館へ館長をお訪ねした時に、「丁度いいところへ来ました」と言って、或る地図をコピーして渡 してくれました。それが右の地図なのですが、その日に完成したばかりの八重干瀬の名称がつけられていたのです。

早速貴重な資料を頂いて帰ってきましたが、こんな親切な協力を得ながら、取材旅行は毎月一回、一週間という間隔でつづけられていったのでした☆

「宮古周辺」の画像
「宮古観光地図」の画像
「宮古と八重干瀬」の画像
「八重干瀬図」の画像