知る世界 「旅雑記」(14)「街角で、護符」

超自然のさまざまな威力に対して、あまりにも無力な人間は、とにかく何らかの力に寄りかかって、苦難から逃れようとします。勢いを得ようともします。

科学の進化が目覚ましい時代である現代においても、なぜか襲いかかる不安から逃れようとして、さまざまな形のお守りを、密かに持っていたりしています。別にその威力を目の当たりにした訳でもないのに、それを持っていると心強く思えたり、勇気を持って生きていけたり、何かに挑戦していけたりもするものです。

神社、寺院へ行けば、これでもかこれでもかと言わんばかりに、さまざまな御守りを販売していますが、超科学時代の21世紀の現代ですらこんな有様なのですから、まだまだ知識も進化していない時代であった古代などでは、所謂現代では迷信だと一笑に付されてしまうようなものであっても、当時は本気で信じていて、それこそ身を守るために、いろいろな種類のお守りを持っていたのではないかと思います。古代においては、魔性のものから身を守るには、女性の魔力を秘めた領巾(ひれ)などを腹に巻いて、旅に出るような男性もかなりいましたし、日常では比布を肩にかけたりしました。姉の忠告を聞かずに、比布をつけずに旅立ったヤマトタケルなどは、そのために妖魔に襲われて死んでしまったくらいです。

危険から逃れるために、果たして普通の人はどんなお呪いを唱えたのでしょうか。修験者から教わった、「臨兵闘者皆陣列在前」という九字の呪文を唱えて護身をしたりしましたが、ちょっとびっくりしたのは、「急急如律令(きゅうきゅうによりつりょう)」という呪文です。

この律令というのは、古代の法律のようなもので、これを侵すということは、死に値するようなものであったわけで、その厳しさは民にとっては、実に恐ろしい存在であった訳です。そんな威力があったくらいですから、魔も寄りつかないに違いないと考えたに違いありません。民が如何に律令というものを恐れていたかという証拠です。そんな恐怖する思いが、とうとう護符にまでしてしまったというわけでしょう。

時を経るに従って、こんなことを書いたお札を家の前に貼ったりして、魔が襲って来るのを撃退するようになりました。三島由紀夫の、「潮騒」という小説の舞台となった神島の民家は、全戸「急急如律令」の呪符を玄関に掲げているということで知られていますが、右の写真はこの注連縄の後ろに、「急急如律令」と書かれるようです。しかもこの注連縄は一年中玄関前につけられているということです。奈良県田原本町では、「急急如律令」という呪文を彫った瓦を、屋根に載せるという風習があると聞いていましたが、ついに最近までこうした風習を残していたお宅がなくなってしまったということでした。

沖縄の宮古島などには、「石敢当」などと、石に彫られたものが、家の角などに立てられているのを見ましたが、これは危険なものがぶつからないようにという、お呪いだそうです。これも故事に因んだもののようですが、つい最近のこと、東京の自由が丘というファッションの町の一角に、この石のお守りを置いている家を発見いたしました。

とても珍しいもので、ひょっとするとこのお宅は、沖縄の出身なのかもしれませんね。しかし同じお守りでも、現代人が・・・特に若い女性が持ち歩いているようなものなどは、まだまだ夢があっていいのかもしれません。一種のアクセサリーのようなものなのですから・・・。古代のそれは、生活に直結する切実なものだったのですから、決してないがしろには出来ないものだったのです。災いを払う方法がこれしかなかった時代なのですから、仕方がありません。切実な思いから身につけたり、家に取り付けたり、貼ったりしてきました。

果たして現代人は、本当にそれらの護符といわれるようなものの存在を、まったく無視することができるのでしょうか。

いえ。人間はとても弱い面があるので、何かに守ってもらいたい、何かの力に頼って力づけられたいと思うものです。きっとどんなに時代は進化しても、こうしたお守り・・・護符の存在に無縁ではいられないのではないでしょうか。ふとそんなことを考えることがあります☆

「神島・しめ縄」の画像
「護符・石敢当」の画像
「宮古の石敢當」の画像