知る世界 「旅雑記」(19)「古都で何を見るのか」

五月の爽やかな季節は、どうやら修学旅行の季節になっているようで、京都、奈良方面は、大変な混雑です。

少し落ち着いて旅を楽しもうと思っている人には、いささか厄介な季節でもあるようですね。

ところがこの観光シーズンになって、どこも賑わう様子を見ているうちに、ふと、あることに気になり始めたのです。 (この人たちは、古都で何を見て行くんだろうか)

京都をはじめ、奈良という古都を、気軽に探索する機会を得たこともあって、彼らはことへやって来て、一体、何を見て行くのだろうか、そんなことが気になりだしたのです

かつて古代史小説を書いていた頃は、絶えず奈良・・・というよりも飛鳥の地を、かなり頻繁に訪ねていましたが、あれから二十数年をへて、先ずは奈良の入口であるとこへの再訪ということにしたのです。そこで、先ず探訪先を東大寺、春日大社に絞りました。

昔とまるで違っていることと言えば、わたくしの年齢の変化でしょうか。本殿までの参道を、かなり歩かなくてはならないので、かなり疲れるのをどうしようもありませんでした。若い頃はほとんど苦にもせずに取材をしつづけていたのにと思うと、まるで夢のように思えます。止むを得ないことだとは思うのですが、いささか残念で仕方がありませんでした。

古都には、どこへ行っても、修学旅行の学生が、先生の付き添いなしで、グループごとに行動していましたが、彼らが手にしているのは、学校で渡されたものか、旅行案内を請け負った会社が作ったものか、簡単なパンフレットのようでした。ところが彼らは、どこを訪ねてもそのパンフレットに書かれれていることと、実物を見つめて何か確認するかと思うと、そんなそぶりは全くありません。ほとんど順路に従って、流れるように進んで行ってしまうだけです。

(一体、彼らは古都へ来て、何を見て行くのだろうか)

思わずそんなことを考えてしまいます。

それは決して学生ばかりではありません。熟年主婦のグループもそうですし、このところ一気に増えてきている諸外国からの観光客もそうです。

あの観光の仕方では、どこへ行っても、そこの建物だけが・・・つまり形だけが記憶されるかも知れませんが、古都に積み上げられてきた先人の思いといったものは、ほとんど無視されて行ってしまうように思いました。

実は写真にあるように、春日大社の正門前にある特別な史跡には、まったく目もくれずに中へ入って行くのですが、これに関しては大人の参拝客も同じようなもので、門前にはわざわざ仕切られた場があるにも関わらず、まったく無視をして行ってしまいます。

それこそが、藤原氏の始祖と言われる神が、その磐座に降りたと言われているもので、極めて大事な遺跡なのです。

春日大社の原点であるはずのものを無視していっては、参観した意味がないように思えて仕方がありません。正に画竜点睛を欠くということになるのではないでしょうか。

そんな伝承を信じるかどうかは別としても、春日大社のヘソとも言えるそんな遺跡を無視してしまっては、春日大社が古代からそこに存在しつづけていることを無視することにもなりそうです。

このところ京都の史跡を訪ねても、こうして奈良の史跡を訪ねても、とにかく建物を見にはいくけれども、その史跡が存続しつづけている意味については、まったく無関心といった光景をいやでも見てしまいます。

若い人もやがて時間をへてから、「ああ、あんなところへも行ったな」と、思い出した時に、もう一度史跡を訪ねて、それがそこに、歴史を重ねながら存在しているヘソを確認しに行くようにでもなればいいのになと思ったりもいたします。せめて、古都なんて、寺と神社しかなくて、つまらないなんて言わないようにしてもらいたいですね。

このところ古都は観光シーズンということもあって、修学旅行生、熟年のグループ、諸外国からの訪問者もかなりあって、日本の文化の紹介ということでは、大変いいことだと思うのですが、どうも手放しで喜んでもいられなくなってしまうのです。

現在のままであったら、ただ建物は見たというだけで、やがてそれだけの思い出になって終わってしまうでしょう。恐らく再訪する機会はないでしょう。古代ファンとしては、日本文化に触れて、その神髄に触れてみたいという気持ちになってくれることを期待するためにも、その場が存在する理由を、少しでも知って貰いたいと思うのですが・・・。

このところ古都を訪ねる度に、古都の何を見届けていかれるのですかと、しきりに聞いてみたくなっているのですが・・・☆

東大寺・南大門」の写真
春日大社・正門前の写真
東大寺・南大門の写真