知る世界 「旅雑記」(21)「田舎者が作る都会」

いろいろな都市を訪れているうちに、あることに気が付きました。

大都会と小都市ということです。

あなたはそんなことを考えたことがあるでしょうか。 大都会ってなんなのか・・・。小都市とは何なのか・・・。

その違いというようなことを考えたりするんです。

私などは東京という大都会に、小さな頃から住んでいるのですが、次第に東京生まれで、東京育ちの人が少なくなってきていることに気がつきました。それなのに、東京の人口が減っているという報告はありません。

どこへ行っても人で溢れています。

オフィス街はもちろんのことですが、東京駅などの朝の出勤時間ともなると、とても地方の人には想像のできないような光景を、目撃することになるでしょう。まさに人の洪水が駅から押し流されて来ます。あのような光景を目の前にしたら、気の弱い人だったら卒倒してしまうのではないでしょうか。

東京には、もともとそんなには人口が存在した訳ではありません。ほとんどは地方から働きに来ている人であるはずです。これは大阪、名古屋、福岡という都市でも同じような状態にあるでしょう。

その土地の人にとっては、他の都市から来た人は、あくまでも田舎者ということになります。つまり大都会というところは、ほとんど(田舎者)と言われるおびただしい数の人が、出稼ぎにやって来て作り上げている世界なのです。

そこから生み出されたものが、濁流のように送り出されて行きます。それでは、所謂小都市などは、あっという間に押し流されてしまって、小都市の存在感を多少でも示すこともなく、存在し得なくなってしまうのはないだろうか・・・。

いえ。決してそうではありません。

ただ小都市は、その存在感を誇示するために、どんなアピールをしているのかということが問題です。

その典型的な見本が、京都にあるような気がしているのです。 確かに京都は長いこと政治の中心地であったが、その後都が東京という大都市へ移ってしまってからは、次第に人の関心を失ってしまって、大変さびれてしまった都市になってしまった時期がありました。

当然のことですが、そんな状況を変えようとして、一時、大都市から・・・その代表は東京ですが、さまざまな資本を受け入れて活性化を図ったようです。所謂一般人が描いている、京都の優雅な雰囲気などというものを無視して、次々と都会的な店が開かれて行きました。

古都京都として、由緒ある神社、仏閣、史跡の多い風土とは似つかわしくない、実にアンバランスな都会が存在するようになってしまいました。

果たしてそれで京都は再生したのでしょうか・・・そんな試行錯誤の上で、ようやく小都市としての生き残りをするには、むしろ邪魔になる・・・いや、却って(らしく)変わろうとする勢いの足を引っ張ってしまうということに気がついたのでしょう。 京都にとって、大事なのは、決して大都市の後追いをすることではないということに気がついたのでしょう。

風土の持っている特質な条件を、際立させるようになったのです。

それが現在の京都なのではないかと思います。そしてそれ故に、かなり他の地方からやって来た人にとっては、大変異質な風土、風習、文化、民俗に出会うような驚きであり、喜びになるのだと思うのです。

今やシーズンになると、諸外国をはじめ日本の各地からやって来る、観光客で溢れてしまうほどの盛況さです。あの観光客の興奮ぶりは、とても大都会でのその規模の大きさに圧倒されることとは、まったく異質なものだと思います。

田舎者がどっと雪崩れ込んで膨らんだ、別の言葉で表現すると、ほとんど特徴のない無機質な文化を作り上げている大都会に対して、その土地でなくては育てられない、見ることのできない、異質な文化を際立たせる小都市が、これからも京都だけではなく 、次々と現れて来ることを希望したいし、そうなるように努めないと、大都市の大きさに圧倒されてしまうし、そこから押し出される濁流に押し流されてしまうのではないでしょうか。

小都市よ、いかにしてあなた方の風土、文化を粒立てるようにするか、末梢的なことに腐心するよりも、まず隠れている資産の発掘から始めてはどうだろうか☆