知る世界 「旅雑記」(26)「東名高速道路考」

夏では大混雑が予想されることから、ちょっと早めに行楽地へ行ってみようかという計画があって、まだ春には早い浜名湖畔を目指して、親族のドライバーの運転で、久々に東名高速道路を使って走りました。

とにかく、実に運転が巧みな男なので、私はまったく運転には気を使わずに、後部座席でゆっくりと落ち着き、すっかり寛いだまま、久しぶりに見る周囲の景観が、ちょっと見ないうちに大きく変わっていったのを確認しながら眺めていました。

湖畔の宿泊施設へ向かう途中で、史跡と思われるところを、あちこち寄り道をしながら、くまなく巡りながら、ヒョウタンのようにくびれた湖の後部にあたる湯の華湖畔へ着いたのでした。

予想したように、宿泊者はかなり少なかったようにおもいます。恐らく春にでもなったら、とてもこのようにゆったりとは来られないだろうなと想像しながら寛いだのですが、それにしてもあの東名高速道路の防音壁の多さは・・・と、考え込んでしまいました。

住宅地に近いところを巡っているためだろうか、車窓から景観を眺めて楽しむことが、ほとんどできないほど、高い防音壁が張り巡らされていて、ただただ景観を楽しむところはほとんどなく、ただひたすら走りつづけるだけになってしまったのでした。

ドライブをしながら旅を楽しむということには、とてもならないままで、運転する者も実に退屈な高速道路になってしまったものだなと思ったのですが、しかしあのように高い防音壁を張り巡らさなくてはならないほど、住宅地に近いところに道路を作ってしまったのだなと、思わず慨嘆してしまいました。

たしかに街から街を結び、街から村を結び、村から街を結んで行くのに、道路は欠かせないものです。

しかしあのように、高い塀のような防音壁を作らなくてはならいならないような、都市の中心部に作る必要があったのでしょうか。もちろん当時は、そんなに住宅や学校のような建物は存在していなかったかもしれません。道路に引き寄せられて集まってきたのでしょうか。

ああして車で走ってみると、道路際に住む人はもちろんですが、そこを車で走る人にとっても、快適な空間になっているのだろうかと、疑問に思ったりしました。

人と道路の関係というものは、あまり意識しない存在ではあるのですが、しかし切っても切れない関係にあるようですね。 早春のリゾート地へのドライブでしたが、その行き帰りの高速道路での思いが、その日はいつまでも心から離れませんでした。

さて、窮屈なお話はここまでにして、帰途でのお話にしましょう。

今回は五百羅漢の寺なども行きましたが、帰りには、江戸幕府の大老で、開国を巡る事件・・・桜田門外の変の犠牲者であった、伊井直弼の、伊井家の墓を訪ねたり、新居関所跡を見て、その日の目標である、御前崎灯台へ向かったのでした。

ここでの発見が嬉しかったですね。

高度恐怖症の私は、灯台に上るだけ上ったのですが、そこから外へ出て一回りすることは、どうしても出来ませんでした。 真相は、足がすくんで、動けなかったのですが、とにかく私が感激したのは、灯台に隣接したところに作られていた史跡ともいえる、灯台の原点ともいえるものが残っていたことです。

「見尾火灯明堂」というものです。

江戸幕府の頃は、写真にあるような小屋で、村人が灯火を消さないように一晩中監視して、朝になると家へ帰ったといいます。 こうした歴史の遺産と出会うことは、とても楽しいことです。 楽しんだり、考えたりした静岡最南端の岬への一泊二日の旅でした。

暖かくなったら、ちょっとドライブもいいかもしれません☆

井伊家歴代の墓の写真
御前崎灯台の写真
見尾火灯明堂の写真
新居関所跡の写真