知る世界 「旅雑記」(30)「軽井沢散策」
夏が近づくと、気持ちが軽井沢の山荘へ向かってしまうのですが、最近、町では想い出の手掛かりとなる道路標識を作るようになりました。
わたしも昔の軽井沢のイメージがあって、現住地へやって来たのですが、もちろんすでに昔とは違いつつありました。
ここを手に入れた時も、実は小説を書くための、仕事場としてだったのですから、そう昔々というわけにはいかなくて当然です。
いつか作家になって、軽井沢へ仕事場を持ちたいという思いが、高校生の頃からありました。
堀辰雄の「風立ちぬ」が大きな影響を与えたことは間違いなかったでしょう。高校のテニス部でキャプテンをしながら、文芸部でも活動していたわたしは、いつか物書きになりたいという気持ちでいましたから、当然の決定でした。
現在地も堀辰雄が最初に別荘を建てたところなのです。
従ってこの近くには、最初の恋人である節子が結核を患って、療養をしていたサナトリュゥムがあったはずです。
しかしわたしがここへやって来た時には、すでにそれらのものはなくなっていましたが、それらのものがあったところを突き止めたいし、彼らが歩いたと思われる道を、歩いてみたいという気持ちがいつもありました。
仕事場はてに入れたものの、多忙になってしまったこともあって、そのあたりをゆっくりと散策す余裕が、まったくありませんでした。
あれから二十数年して、ようやく自由がきくようになって、最近になって、山荘の周辺から気ままに歩き回る機会を作るようになったのです。
すると一時は昔の面影を残すものが消えて行ってしまったのですが、軽井沢が注目され始めたり、新幹線が通るようになったこともあって、町の整備をする中で、かつて軽井沢を愛して、別荘を建てた人々の、夏の交歓の場であったところが、少しづつモニュメントとして作られて行くようになりました。その一つが、道の角々に建てられた、アルミニュゥム製の、昔の呼び名の道しるべだったのです。
わたしはカメラを持って、散策するようにしていますので、ある日からそれを撮ってくることにしたのです。
その一つが、わが山荘に近いところにあった、サナトリュウムのあったところに立つ標識だったのでした。
これからも、そんな思い出散策をつづけるつもりでいるのですが、どんなところが発見できるか楽しみです☆