知る世界 「旅雑記」(32)「秀吉の詐術」

豊臣秀吉という武将は、とにかくかなりの知略に富んだ人だったようで、それだけにあちこちでさまざまなエピソードを生むことになったようですね。

実は年末に冬の花火を見ようという誘いに乗って、伊豆までT夫妻の車に便乗してでかけたのですが、その途中で小田原の一夜城へ行ってみませんかということになったのです。もちろん歴史の好きな私は大賛成で、出向くことにしました。

現在は、ほとんどのこっているものはなくて、公園になっているのですが、石垣山には、二の丸址、本丸址なdという石の標識が作られていて、行った者には想像を楽しませてくれるところです。その頂上に達したところから、遥か眼下に、小田原城を見渡すことが出来るようになっていました。 豊臣秀吉は天下統一の勢いに乗って、この小田原に勢力を持つ北条氏を討つために、秀吉に従う精鋭の武将たちの軍勢を動員して、小田原京を包囲したのです。

海からは九鬼水軍もやって来るといった具合で、推定15万〜22万という兵力で包囲させたようでしたが、この時秀吉は、北条氏をあっと言わせることをやってみせたのです。つまり石垣山の頂上に、城を一夜で作ってしまったというのです。

北条氏にとっては、それほどの衝撃はなかったでしょう。しかし宇宙人でもない秀吉が、一夜で城を完成するなどということが出来るわけはないはずです。しかしそのからくりはこういうことです。この頂上は林になっていたのです。そこに八十日以上かけて築城したのですが、そんなある日、突然林を切り払ったのです。そこには忽然と城が現われたという訳です。

北条氏がびっくりするはずです。それはまさに一夜で築かれた城のような衝撃だったことでしょう。しかし秀吉はそこへ淀君をはじめ千利休、能役者、猿楽者まで呼び寄せて、戦況を見詰めながら楽しんでいたらしく、そこに淀君が使う化粧水を取るのに、井戸まで掘らせたりしていたといいます。 如何に秀吉は余裕を持っていたのかを想像させるエピソードです。

旅をすると、思いがけない史跡と出会うものですね☆

一夜城入口の写真
一夜城本丸址の写真
一夜城井戸の写真