知る世界 「旅雑記」(38)「秦河勝の島」
本の出版のために、秦河勝の聖地を尋ねました。
秦河勝と言っても、歴史に興味のない人にはあまり知られていない人だと思うのですが、古代の歴史を辿っていると、時々顔を出して来る人物です。
これまで秦始皇帝の子孫だと言われてきましたが、それは現在否定されて、新羅の豪族であるということになっているようですが、彼は朝廷の大蔵を管理する仕事をしていたようですし、大連の物部守屋と蘇我馬子の古代の大戦争があった時、馬子の軍の一人として参戦した聖徳太子に付き添って戦ったのが、この秦河勝でした。
新羅からの使節がやって来た時には、その先導役をしたり、富士山麓におかしな宗教が現われて、大衆を惑わした時などは、その掃討に成果を上げたりしたのですが、やがて親しかった聖徳太子が亡くなると、蘇我入鹿から排撃されるようになり、歴史ではそのあたりで、ぷつんと足跡が途絶えてしまうのです。
今回執筆している「幻視行 月の都 京都」(平安京を巡る旅)という本の取材で追っているうちに、ついに突き止めたのが、兵庫県の姫路の坂越というところに、秦河勝の聖地があるというので、友人たちと一緒に探訪することになりました。
どうやら彼は入鹿に追われて、そこへ逃れてきたというのです 。
断ち切れていた歴史が、俄かに繋がることになったのでした。 海岸にある大避神社が河勝の神社と言われているのですがお尋ねしたところ、宮司さんの御好意で、その目の前に浮かんでいる生島へ案内して下さることになりました。
実はそこが河勝の聖地であるというのです。
つまり彼の墓があるということでした。
私は友人と共にその墓と対面しましたが、彼がこの坂越というところへ船で辿り着いた時に、この生島の岩へ飛び移ったという「飛びつき岩」と言われているものも確認してきました。
この近くの和気清麻呂もいたことから、平安京を作った貢献者は、このあたりで接触していたことが、想像できます。
瀬戸内海の穏やかな海岸の町です。
一度、機会をみてお出かけになっては如何でしょうか☆