知る世界 「旅雑記」(39)「姥捨山と観月祭」

夏休みの軽井沢滞在を活かして、在来線を利用した小旅行をすることにしました。一度はしなの鉄道を利用して長野の善光寺を目指しました。おおむねいつも自動車で走っていた道を、横から眺めながらの電車でしたが、これまでと違った視点から、鉄道周辺の風景を楽しみながらの旅でした。そこで今回はしなの鉄道、JRを利用して、長野県のほぼ真ん中にある松本へ行くことにしました。勿論、目標は通称烏城と呼ばれる国宝松本城でしたが、生憎土曜日だったので、観光客が押し寄せ、天守閣へ昇るのも行列でひと苦労しました。しかし今回の話題は、この松本城のことではありません。

この帰り道のことですが、来る時はしなの鉄道篠ノ井駅からJRの特急を使いましたが、帰りはJRでも普通に乗ってのんびりと戻ろうと考えました。その途中のことです。「姥捨」という駅があり、かつて老いた者を棄てた悲しい話を感じさせたのですが、電車の中の吊り広告に、「姥捨山の観月祭」というものが乗っていました。 思わず古代の歴史に興味のある私は、どうしてそのような悲しい伝説のあるところで観月をするのかと、一瞬怪訝に思ったのですが、やてこんなことを考えるようになりました。年老いたものを棄てるとは言っても、貧しい暮らしを強いられていた当時のことですから、高齢に達すると彼らは口減らしをするために、自ら山へ運ばせ、そこで生涯を終えるということを申し出て、家族に運ばせていたに違いないのです。しかし自ら進み出て山へ行くことを志願する者はいいとして、中には嫌だといって家族の訴えることに抵抗するものもいたのではないだろうか。そんな時家族は、あの山で眺める月の素晴らしさを訴えて、誘い出したのではないかということを考えたのでした。

そうこうするうちに、進行する電車は突然ストップ。何があったのかとびっくりしていると、今度は逆行し始めたのでした。

アプト式だ。

わたしはもうこういった方式はすべてなくなっているとおもっていたので、電車が逆行し始めた時は、いささか不安な気持ちになってしまったのでした。

それから暫くして、電車は間違いなく進み始めたのでした。それにしても、もうすでになくなっていると思っていた高所をジグザグで移動するアプト式が経験できたことは、「姥捨山の観月祭」のポスターを発見したこととあわせて、今回のロカル線の旅の大きな収穫なったのでした☆

軽井沢駅の写真
篠ノ井駅の写真
松本駅の写真
JR普通の写真