楽しむ世界 Faile(26)「ひと口古代史考」(夢占い)

「今日は夢見が悪かったな」

朝起きた時、何だかすっきりとしないことがあります。そしてその日一日、

「どうしてあんな夢を見たんだろうか」

その原因がはっきりとしないまま、何か重苦しい気分で過ごすことがあります。

占いの本に「夢占い」というものもあるくらいで、その原因がはっきりとしない不可思議さは、古代も現代も同じようなものがあります。それだけに現代のような、ある程度の精度で精神的な解析が解決できる時代とはいっても、夢にはまだまだ不可解な部分がありますし、追及していく楽しみさえも含まれています。

超科学時代であってもこのような状態なのですから、まだまだ科学というものが浸透しない古代ということを考えると、それはある暗示を与えるものとして、極めて大事にされてきたものでもありました。

特に為政者たちの、夢に対する関心は、異様に高いものでした。現世でその最高位にある天皇にとっては、権力だけではどうにもならないものとして、夢を見るということを、不気味にさえ思っていたことがありました。

夢は神々と交信するために、人間が見るものなので、神々は見ないと思われていました。

「古事記」「日本書紀」にも、夢の記述が出てくるのですが、初代天皇といわれる神武天皇の頃からですが、はじめは巫女による神懸かりの宣託を得るということでしたが、天皇が神託を得るために見た夢は、三十一文字の和歌でお告げとしてやってきたと言われていました。やがてはあの聖徳太子も、「夢殿」という夢託を受けるための、特別なところを持ったくらいで、夢は自然に見るものではなく、乞い願って見るものでもあったのです。

そんなことから、古代の貴族などは、そうした夢から何かお告げを得たいということで、寺社のような聖地がお告げを受け易いということで、京都の清水寺、石山寺、奈良の長谷寺のようなところへ籠って、夢を見ようとしたのでした。

所謂、参籠するということが、しばしば行われたのは、そのためで、紫式部が中宮と共に石山寺へ参籠して、「源氏物語」を書いたというのも、きっとあのようなところへ籠って、いい夢を見て物語の展開に啓示を受けていたのではないかとさえ思えてきます。

しかし悪い夢を見てしまった時はどうすればいいのでしょうか。

そういう時には、法隆寺にある夢違え観音のように、その観音様に祈れば吉に変えてくれるということで、信仰を集めていましたのです。

後の時代になると、その夢の意味することがどんなことなのかを、解析することを商売にする者が現れたり、更にいい夢を見た人から、それを買い取るなどということを考えた者が現れたりするようになってしまいました。

大体いつの時代でもそうですが、流石にここまでくると、いい夢見を願う風潮も、興味が薄れて行ってしまいました。

しかしそれでもたかが夢、されど夢です。

少年、少女の頃見たアニメーション番組、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」の影響で、宇宙飛行士になって宇宙へ行くということを夢見て、一生懸命にその実現に向けて努力してきた人々が、近年次々と宇宙を目指して飛び出して行くことになったことを考えると、その脚本を書いていた者として、いい夢が届けられたのだなと、嬉しく思ったり、誇らしく思ったりしているところです。

昨今は、現実的すぎて味気なくなってきていますが、夢を見るというロマンだけは、いつまでも、いつまでも持ちつづけていたいものですが・・・☆

法隆寺参道の写真
夢殿と私の写真
釈迦三尊の写真