楽しむ世界 Faile(27)「ひとくち古代史考」(小町)

この頃はあまりいろいろなことがあるので、ちょっとしたことでは、話題になってもすぐに忘れ去られてしまうことが多いようです。世間の噂となることと言えば、よほど大事であるか、芸能人の話題ぐらいのもので、ごく通常の人の場合は、よほど大事件でも起こさない限り、人から人へと伝えられていくようなことはありません。

もう、現代ではほとんど死語になってしまったように思いますが、私の住むところで言えば、深沢小町などと呼ばれるようなことは、ほとんどなくなってしまったのではないでしょうか。

昔、小町と言えば、世界の三大美女と言われる、平安時代の女性である小野小町のことを、直ぐに思い出してしまいますが、実はこれは決して彼女の名前ではないということを、ご存知だったでしょうか。

実は私も、長いことそれを、彼女の名前だと思っていました。しかしそれは間違いだったのです。

その真相を知ったのは、古代を背景にした小説を書くようになってからでした。古代では女性に名前がついている場合がほとんどないことが通例です。それは平安時代といっても同じで、「源氏物語」を書いた紫式部にしても、決してそれが本名ではありません。この場合は出身が藤原氏だったところから、その花の色が紫であるのを使って、式部という役職名をつけて呼ばれていたわけです。決して式部という名ではなかったのです。

そんな例から言えば、小野小町というのは、小野町の小町ちゃんといったところでしょうか。とにかくあの頃の慣習としては、止むを得ないことだったかもしれません。

ちょっと目立った娘がいたりすると、「あの子はこの町を代表する可愛い子ちゃんだ」というようになったのでしょう。

従って、このようなことでいうとしたら、大工町には大工町の小町がいただろうし、呉服町には呉服町の小町がいました。つまり、その町を代表する可愛い子ちゃんがいたものなのです。

そんなところから、特に名前を知らないことから、「あの子は○○小町だよ」と呼んでいたものだったわけです。

そんな風習が伝えられていって、やがて名前は知らなくても、目立った子がいると、○○小町と呼ばれるようになったもののようなのです。私の知っている範囲でも、大体、街角にあったタバコ屋の看板娘がそう呼ばれていたものですが、美しいばかりでなく、気立ても良ければ、愛想もよく、若い者などは、ついつい憧れてしまうといったことがよくあったようで、みな誰がその子を獲得できるかなどと噂をしあっていたし、もっぱらの話題になっていたものでした。

ところが、そういった風習が自然に定着していって、時にはかなりの老年でも、○○小町と呼ばれて、かなり長いこと看板娘を務めていた人もいたものです。

それにしても、昨今ではほとんどそんな話を聞くことはなくなりましたね。

食糧事情、経済事情も良くなってきたり、化粧法も進んだこともあって、若い娘のほとんどが奇麗になって、目立つようになってしまったからでしょう。しかもその化粧法も進化して普及してきたので、みな平均化してしまいました。そのために特別目立った娘がいなくなってしまったのかもしれません。

それこそ美人コンテストで世界一にでもならない限り、沢山の人に認知されるということは、ほとんどないといってもいいでしょう。

それに最近は禁煙運動なども盛んになってきましたから、それに従って煙草屋さんの数も減ったし、それを売っている個人商店へ行かなくても、コンビニや、自動販売機を利用すればいいわけで、余計にそのものを売る人との接触もなくなってしまったし、その人との交流も失われてしまいました。

そしてもう一つ、○○小町と騒がれることがなくなってしまった理由としてあげられることは、住宅事情にもよるのではないかと思うのです。

昔のように、ある街に生まれて、そこで育ち、結婚してそこで家庭を営み、子供たちに受け継いでいくという者が、極めてまれになってきています。もし昔のように、そこで生まれた人が、ほとんど移動しないで、その地域で生活しているという状態であれば、○○小町と言って、その町に住んでいる者なら誰でも知っている存在になることも容易なことでしたが、昨今のように、特に都会では、生まれたところにずっと住みつづけるということがほとんど不可能になると、○○の小町ちゃんなどといって噂を立てようにも、そのあたりからいなくなってしまうのですから、ほとんどそいうことには無関心だし、その小町ちゃんですら、そこにずっといるかどうかも分からないのです。

○○小町がいるよなどと言って、若者たちが噂をしたり、その娘を見に店の前を、行ったり戻ったりするような、のどかな光景は見当たらなくなってしまいましたね。

それを味気ないと思うか、時代の流れで仕方がないと、割り切るかはご自由にというわけですが、どうもそんな余裕を楽しむ気分が失われていってしまうことが、残念でしようがありません。年を取った所為でしょうかね☆