楽しむ世界 Faile(28)「ひとくち古代史」(赤米)

昔は・・・もちろん今でもないとは言えませんが、お祝い事があると、大抵の家ではお赤飯を炊いて祝ったものです。

ちょっと高齢の方であったら、ほとんど抵抗感もなく、そういうものなのだと思っているはずですし、おめでたいことでもあれば、自分から、今日はお赤飯にしようなどと指示してしまうはずです。そのくらい一般的に浸透している生活習慣だったのです 。

しかし昨今は、どうして祝う時にお赤飯なのかといった理屈が判らない人も多くなってしまっていて、それを祝い事がある時に用意するという習慣さえも過去の遺物として歴史の中へ埋没させていってしまいそうです。

ちょっと残念な気がして、仕方がありません。

生活習慣が変わって、米飯からパン食になったことも、原因の一つとして上げられるかもしれません。

しかしそれ以上に、昨今はちょっと歴史に対する関心が、偏った時代に・・・つまり戦国時代に集まってしまっているので、それ以外の時代については、ほとんど興味を持たなくなってしまっています。

古代などといったら、それこそそっぽを向かれてしまうかもしれません。

それに、何といっても、生活習慣が大変わりしてしまったことが関係あるかもしれませんね。

若い世代の人にとって、赤飯で祝うなどということは、まったく関心がないのも、止むを得ないことかもしれません。しかしそれでも時々は、お目にかかることもあるでしょう。

実はこの赤飯の原点が、というものだったということをお話したいのです。

まだ米が、今のように豊かに取れる時代ではなかった古代のことですが、一般的には五穀・・・麦、、豆、、またわを常食としていた時代のことです。

所謂、米というものは、とても庶民の口には入らない、貴重品でした。

しかし、仮に古代という昔々ではあったとしても、何か喜び事があった時、それを素直に表現したいと思ったり、表現してあげようと思ったりはするものです。

そうかといって、特別贅沢などというものが出来るはずはありません。ほとんどの人が農民でしたから、苦心して祝い事をするとしたら、農作業にかかわりのあるものでしかありません。そこで登場してくるのが、赤米というものです。

ちょっと話が飛びますが、京都にはというところがありますね。あの丹波という名称は、の波・・・つまり赤い色の波ということで、赤い稲穂が波打っていたことから起こったものなのです。これこそが赤米の原点です。

もちろんこんな米が、自由になるはずはありません。

白米同様こうした貴重な赤米は、滅多なことでは手に入りません。それだからこそ貴重な食べ物だったのですが、農民たちはそれを、本当に祝いたいようなことがあった時のために、わずかに備蓄しておいて食べたというのです。つまり赤米はよほどのことがなかったら、口に出来ない食べ物だったのです。

そのようなことから、一般に、祝い事がある時には、赤米を食べるという習慣が出来るようになっていったのです。

やがて農作業の技術進展で、米も作られるようになって、わざわざ赤米を生産しなくても、を使って米を赤く染めることも覚えました。そんなことから、祝い事がある時には、赤米ではなく小豆を使って赤くした所謂赤飯を出すことになったのです。

赤米が滅多に口には入らない、貴重な食べ物であったことから、それに類似した赤飯を祝い事のある時に、食することになったのでした。

パン食が浸透してしまった昨今、とにかく隅っこへ押しやられてしまったお赤飯ですが、せめてその原点の意味ぐらいは、知っておいて欲しいと思って書きました☆

赤飯の写真