楽しむ世界 Faile(29)「ひとくち古代史考」(睨む)

「上司に睨まれちゃってね」

「先生に睨まれちゃった」

「親父に睨まれちゃった」

とにかく睨むということが、よく使われます。

あまりいい意味で使われることはありません。

大抵の場合は、こちらにいけないところがあって、それを咎める意味で相手が睨んでくるわけですが、どうもこれは、日本古来からの、大変重要な習俗ある「見る」という効力を発揮させることの延長だと思うのですが、同じ睨むでも、大いに歓迎されていた「睨む」があったのをご存じでしょうか。

市民のほうで、今日は「睨まれて来よう」などと言って、浮き浮きして家を後にしていったというのです。決してしくじりがあったとは思えません。

それはそうです。

実は歌舞伎見物に出かけて行ったのです。しかもこれは大抵お正月のことだったのです。

江戸時代の歌舞伎の人気俳優と言えば市川団十郎ですが、彼は正月の出し物の一つに、「睨み」というものがあって、それを必ず演じたのです。

別に芝居ではありませんから、台詞もなければ、演技があるわけでもないのです。

彼は観客を上手から下手に向かって睨みつけて行くのです。

市民が嬉しそうに、「団十郎に睨まれてこよう」といって、いそいそと芝居小屋へ出かけて行ったのは、そのことだったのですが、一体、そうされることで、どれだけご利益があるというのでしょうか。

実は団十郎の信仰にあったのです。

代々市川家は成田山新勝寺のお不動様を信仰していたのですが、その威力を受けた彼が睨むことで、病魔も退散させることができるということが広がっていったのです。今でも団十郎は、節分の時の豆まきの時には、必ず招かれていますが、そうした理由によるのです。

まぁ、現代のように理屈っぽくない、おおらかで、信仰心の旺盛な時代のことですから、団十郎に睨まれれば、その年は息災に生活できるという噂が広がって、正月は必ず、その「睨み」という出し物があったのです。

つい最近も歌舞伎座において、それは演じられたようですが、それが、いわゆる出し物として定着していくと、当時の風俗をしる上でも、出し物としても面白いのではないかと思うのですがどうでしょうか☆