楽しむ世界 Faile(31)「ひとくち古代史考」(月代)

月代・・・最近見かけない言葉ですね。多少、時代劇などが好きな人でしたら知っているかもしれませんが、サカヤキと言います。昔の人・・・もちろん昔といっても、わたしたちが知っている範囲の昔ではなく、少なくとも江戸時代以前のことになるのですが、武士などはほとんど頭にそりを入れて、このスタイルにしていました。

字にも月と書くくらいですから、月に関係があったのですが、ご存知でしようか。

古代も古代ですが、日本の海の周辺で活躍した海賊・・・別の言葉で倭寇と言いますが、彼らは韓国、中国の者も含めて船に乗って、あちこちと、荒らし回っていました。

その様子を調べた本が大分出ていますが、その彼らのほとんどの船の旗印には、「南無八幡大菩薩」と書いたもの、三日月を書いたものがあるのです。その記録は東大の資料館に残されているようですが、この連中の頭髪が月代風にしてあったのです。

戦い易かったのかもしれませんが、彼らの頭髪の形が、その後兜を被るのに都合がいいと言うので、伝わっていったのかもしれません。

しかしここでもう一つ落とせないことは、どうして海賊たちは「南無八幡大菩薩」という旗印を掲げていたのでしょうか。

この八幡神というのは、最後に大菩薩と唱えることを考えると、それは仏であるはずです。

ということは、原点は海外にあったわけで、八百万の神という日本の神とは違った存在だったのです。もし機会がありましたら、菩薩の光背に注目してみて下さい。

あれは月だということが判るはずです。

海賊たちはその月神に護られて戦っていたことになるのです。古代の天皇など権力者といえば、日輪・・・太陽の信仰が中心になっていたはずなのですが、なぜか彼らは月神を掲げて戦っていたのです。

ところが平安時代になって、清和天皇が石清水八幡宮へ帰依したことで、その後源氏の武将たちは、みな八幡神を信仰するようになってから、戦う時には、必ず「八幡大菩薩」いう神号を唱えて加護を祈ったのです。

それが明治時代になると、この神号を唱えてはならないという命令を出しました。江戸後期あたりから勢いを増してきていた国粋派の神を絶対と思う者が勢いを得て、ついに政府を動かして、異国の神である仏教を排撃したのです。廃仏稀釈ということのお陰で、京都などの寺々では、かなり大事なものを排棄せざるを得なくなってしまったくらいでした。 それにしても、月代の原点は、この八幡神にあるということは、あまり知られていないのではありませんか。現在日本には、一番多く存在しているのが八幡神社なのですが、その大元の八幡神社は、京都の石清水八幡宮で、紫式部もよう通お手いたということですよ☆

石清水八幡宮の写真