楽しむ世界 Faile(34)「ひとくち古代史考」(祇園祭)

京都の大きな祭であり、葵祭と共に人気のある祇園祭ですが、これは本来牛頭天王社の祭だったのですが、怨霊を鎮めたり、怨霊がもたらす疫病などの災難から市民を守ると言うことで、平安時代から大変人気が高くなって今日までつづけられている祭です。

葵祭は貴族、公家が中心となって盛んになって来たのですが、祇園祭はあくまでも庶民に支持されてきた者です。

先日、わたしは祇園祭りに関した伝説を調べるために、京都西陣にある、武将山名宗全の屋敷址を調べに行きました。

応仁の乱という事件がありますが、これは将軍足利義政夫人である日野富子が、我が子義尚を将軍に就けたくて、武将山名宗全を味方につけて、足利義視の排斥運動を展開するのですが、義視の味方についたのが細川勝元だったのです。

細川氏の方を東軍、山名氏方を西軍と呼んで、十年ぐらい戦いをつづけたと言われます。

山名宗全はその邸宅のあったところに陣を構えたので、西陣という地名になったのですが、とにかく平安京は焼土と化してしまいましたが、やがて戦乱が終わった後、祇園祭が近づくと、この町内付近では、山名宗全の亡霊が出没すると言われているのです。

しかし姿は現さずに、甲冑がすれる音、雑表がざわめく声、武将の叫び声などが、波のように寄せては返すと言われています。

遥か昔の出来事が、こうして現代の京都で語られることが不可思議です。

とにかく怨霊を鎮めるための祭であることを考えると、祇園祭は決して過去のものではなくて、現代にも生きつづけていく祭です。いつの時代でも、無念な思いを残してこの世から去って行く人はいるはずですからね。

どうか祇園祭にいくことでもありましたら、上御霊神社、下怨霊神社、崇道神社にも行って上げて下さい☆