読む世界 Faile 5 「あんなものは伝説だから」

数年前のことです。

奈良の橿原文化センターで、田原本町の主催で、「桃太郎シンポ」が開かれました。

パネラーは、学者が三人、狂言師和泉元弥、作家の藤川桂介という構成でしたが、それぞれの立場からの発言がありましたが、その時わたしが特に発言したことは、パネラーの学者に対してではなく、これまで取材に出向いた時の、各地の博物館の館長と言う人達への不満でした。

取材と言うのは、桃太郎のことではなく、それより大分前に、長期にわたって執筆していた「宇宙皇子」という歴史ロマンの取材で、取材に出かけた時の話です。

わたしは古代の歴史を素材にして小説を・・・わたしは敢えて物語を書いてきたと言いますが、民話や伝説、伝承を素材にした話で書く時でも、必ずその話の舞台となっている土地へ行ってみることにしていました。なぜかと言うと、先ず話を書く前に、その伝説、伝承がどうしてここから起こったのだろうかと言うことを知りたかったからなのです。遠い昔から、どうしてこの話は現代まで語り継がれてきたのだろうかということに、惹きつけられるからなのです。

まったく意味がないものであったら、こんなに長く語り継がれるようなことはないと思うのです。

つまりその伝説、伝承の中に、庶民が大事にしたいもの、密かに語り継ぎたいことが秘められているはずなのです。そうしたものがない伝説、伝承が、いつまでも残りつづけるわけはありません。

ところがです。

まだわたしが「宇宙皇子」などを書き始めた頃・・・ほぼ二十年前頃では、そうした伝説、伝承を無視する風潮があったのです。そういったものを記録として書いても、一級資料とはならなかったのです。何といっても朝廷が編んだ古文書や、貴族などが書いた古記録などが中心で、そういった類のものが認めていないものは、資料としては認めてくれないのです。そんなわけで取材をしようと、その伝説、伝承の舞台へ行って、そこの博物館や資料館を訪ねると、必ず、「あんなものは伝説ですから・・・」と一蹴されてしまい、まるで相手になってくれようとはしないのです。

「このこちこち頭め」

わたしは何度言葉にならない言葉で叫んだことか。

飛騨の里へ行って、仁徳天皇の御代に、困窮する農民を救おうとして朝廷軍と戦った、二人で一人という異形の英雄、両面宿儺(りょうめんすくな)のことを調べようとした時、博物館長はたちまち先刻の言葉・・・「あんなものは伝説ですから・・・」が飛び出してきたのでした。

まるで相手にしてくれませんでした。

しかも正史では、彼が農民たちから略奪までしている悪党だと書かれているのですが、実際は困窮している農民のために戦った英雄であったというのです。

彼は背中合わせにくっついた、二人の人間であったようで、現代風に言えば障害者だったのかもしれません。そんな訳で館長は、あっさりその話自体を、単なる伝説として無視してしまおうとしたのでしょう。止むを得ずわたしは、両面宿儺が拠点としていたあたりまで行ってみることにしました。

ちょうどそこには大衆的な軽食堂があったのです。そこで食事をした後、思い切ってご主人に聞いてみることにしたのです。するとどうしたことでしょう。ご主人は店の前まで飛び出して来て、高い崖っ淵を指差しながら、

「あそこに立て篭もって、兵士を指揮して朝廷軍と戦ったんだ」

熱の篭った勢いで、あたかも目撃でもしたかのような説明をしたのです。

そんなことはばかばかしい話だと思えば、とてもあんなことを大真面目に説明することは出来ないはずです。

とにかくわたしが言いたいのは、ああして熱気を持って説明するのは、両面宿儺が困窮する農民のために、勇敢に朝廷軍と戦ったということに感動した、先祖が語り伝えたことを、受け継いできているからなのだということなのです。きっとそれは、ただ単に出鱈目な話ではなくて、それに近い者の話だったのでしょう。しかも彼がシャムの双生児と似たような障害者だったに違いありません。何しろ古代のことですから、その異形の者の印象が焼きついたに違いありません。農民たちは、その両面宿儺の心に感動して、代々受け継ぎ、語り継いできていたのだと思うのです。

こうして考えると、決して「あんなものは伝説だから・・・」などといって無視することはできないのではありませんか。本当はそうした庶民の心を汲み上げていくことこそが、その頃の歴史を、正しく理解することになるのではないかということを訴えたのでした。

もちろんその取材を行った前後に、こうした伝説、伝承も、一級ではないにしても歴史資料として認められるようになったのです。わたしにとっては、わが意を得たりといった結果でした。

それは飛騨から高山へ抜ける天生(あもう)峠の麓にある小さな集落・・・月ヶ瀬で、法隆寺の釈迦三尊を作ったと言われる異国人の鳥仏師・・・鞍作止利(くらつくりのとり)と、孤独な信夫(しのぶ)という農民の女性との恋物語について訊くと、農作業中の農民は、「ああ、それは、そこだ」と、如何にも見ていたかのように、二人が恋を語ったという小川に架かった橋まで教えてくれたのです。決して農民は投げやりな物言いではありませんでした。その伝説を自分たちのものだというような、ごく当たり前な話のような、親しみさえ篭めて答えてくれたのでした。こんな伝説、伝承にあり方を、わたしはとてもばかばかしいなどいって無視してしまうことは出来ません。先祖が語り伝えてきた思いを、超科学の現代でも受け継いでいるということは、脅威でもあります。

一体、あの方々はどうしていらっしゃるのであろうか・・・。もう一度訪ねて行ってみたいものですが・・・。

シンポジュウムは「桃太郎」でしたが、根っこは「伝説」「伝承」ということで共通していましたので、敢えて「宇宙皇子」の取材体験を持ち出したのでした。

それにしても、「あんなものは伝説だから」と、簡単に一蹴してしまうような、コチコチ頭が博物館のトップに居座っているということは問題だと思います。伝説、伝承というものは、庶民の思いが語り継がれてきたものだし、支持されてきたものだからこそ、があってこそ、残りつづけてきたものなのだということを、真剣に受け止めてもらいたいもので☆

桃太郎シンポの写真1
桃太郎シンポの写真2