読む世界 Faile 8 「(さすらいの太陽)誕生秘話」

今回はわたしの原作作品についての、お話をすることにいたしました。若い、若い頃の、わたしのはじめて書いたコミックの原作、連載作品であり、テレビ化作品ですが、その後小説化もした作品です。

現在この原作本が入手できない状態なので、マニヤの間では数万円もしているということですが、その熱気が伝わったのでしょうか、オンデマンド方式で出版されました。取り敢えずそれはそれとしておいて、わたしにとって思い出がいっぱいに詰まった作品なので、その誕生にあったってのお話をしたいと思います。もうすでにその原作がテレビ化され、更に最近になって、コロンビアエンターテイメントから、DVD―BOXとして発売されたりしましたので、今回はこれまで読者や視聴者は、ほとんど知る機会がなかったであろうと思われる作品の、誕生秘話をご紹介することにしたわけです。

もう40年も前のことですから、わたしも若い、若い頃のことです。

わたしは小学館の「少女コミック」の前身であった「小学館ブック」で原稿を書いたのが縁で、それがやがて「少女コミック」に変る時に、編集長のY氏から誘われてその雑誌にも原稿を書くようになり、コミックの原作を提供するようにもなりました。編集者とのお付き合いもいろいろと出来て、かなり沢山の漫画家とも出会い、その人のための原作もかなり沢山書きましたが、そんな作業をしているうちに、学年誌の編集部からそのコミック誌の編集部へ移ってきた若い編集者のA氏から、ある新人漫画家のデビューに力を貸して欲しいという依頼があったのです。そこで提出した企画がこの「さすらいの太陽」でした。

ストーリーの概略ですが、ざっとこのようなものでした。

或る産院で誕生した、資産家の子と貧しい家庭の子という極端な環境の二人を、取り替えてしまう女がいました。世をすねた彼女は、所詮資産家の娘として生まれなければ、決して楽しい人生は送れないと思い込んでいたのです。その頃、たまたま極端に環境の違った赤ん坊が生まれたのを知って、彼女は実に危険な実験をすることにしたのです。資産家の娘を貧しい家庭の子に、貧しい家庭の子を資産家の子として、人生を歩ませたらどうなるのか・・・。

貧しい家庭で育てられた娘は、やがて歌手を夢見て動き始めますが、余談ではありますが、この話がテレビ化された頃、まったく同じような事件が起こってしまって、いささか複雑な気持ちになったことがありました。まさかこの人気漫画からヒントを得たというわけではないでしょうがね。

さて、もう一度本題に話を戻しましょう。

貧しい家庭の子として育てられた赤子は、いつか歌い手になりたいと夢を見るようになり、さまざまな困難と闘いながら目標に向かっていきます。

この頃はざっとこのような話だったのですが、この頃のコミックの世界では、スポーツ根性物語・・・いわゆるスポ根と言われるものが全盛という時代でした。しかしわたしは、仕事を依頼された時に、他の作品と同じような素材では書きたくありませんでしたので、いろいろと考えた末に、根性物語を音楽の世界でやってみようと決心したのです。ちょうどこの頃、世間では藤圭子という薄幸の美少女が、「夢は夜ひらく」という演歌で、大ヒットを飛ばして注目を浴びていました。もうお判りでしょう。今をときめく歌手の(宇多田ヒカル)のお母さんのことです。薄倖の美少女が、のしかかるさまざまな困難に耐えながら、スターの座へ昇ってきたドラマが、さまざまな芸能誌で喧伝されている最中でした。そこでわたしは、彼女のイメージを頭に置きながら、新たな主人公を作り上げていったのでした。とにかく時代の感性というものを、当時流行っていたスポーツという世界を素材にした 、所謂スポーツ根性物・・・スポ根ではなく、それを音楽の世界でのドラマに仕立ててみようと思ったわけです。

その試みに、編集担当のA氏は直ぐに乗ってくれました。

ところが順調にスタートできるかと思っていたところ、原稿の執筆直前になって、突然障害が起こってしまいました 。企画を伝えられた重役のU氏が、なかなか承知してくれないというのです。とにかくその方の許可が出ないと、連載は出来ません。編集担当のA氏は、まだ経験も少なくて、重役を説得することが出来ません。困惑しきって、ついにわたしへ連絡してきました。直接重役に逢って、企画意図を説明して欲しいということなのです。もちろんそれを拒否するわけにはいきません。まだ若いわたしは緊張して小学館まで出て行きました。

そこで重役のU氏は、どうしてその企画に反対するのかという理由を、丁重に説明してくれましたが、その最大の理由というのが、何とコミック界の巨匠である手塚治虫氏の書いた音楽物が、当たらなかったということだったのです。つまり音楽を素材にしても、雑誌では音が出るわけでもないので、ヒットさせることは難しいということだったのです。しかし音楽といっても、手塚さんの狙ったものと、わたしがやろうとしていることはまったく違っているのです。わたしの企画の狙いは、音楽そのものを漫画にしようというものではなく、世をすねた女の悪戯で、運命を変えられてしまった少女が、次々と振りかかる困難にめげずに、一歩一歩目標に近づいていくというドラマなのです。当時の流行り言葉で言うとすれば、いわば音楽根性物なのだということを力説したのです。

重役は暫く唸っておりましたが、ついに我々の説得に根負けしたのか、「じゃぁ、やってみろ」というお墨付きを下さったのでした。

「学年誌」での連載が始まりました。すると間もなく、みるみるうちに読者を捉えたようで、人気が集まりました。新人漫画家のすずき真弓さんも、一躍スターになっていったのでした。

連載は人気を保って一年つづきました。

A氏の努力もあって、やがて大阪電通制作でテレビ化されることになり、やがてフジテレビで放映が決まりましたが 、いろいろと行き違いもあって、わたしは数本の脚本を書くだけで終わりました、原作者としてのかかわりだけにとどまりました。そのために文芸担当の虫プロのH氏は、大変苦労したようでした。

テレビ化については、話が話しなので、主役の峰のぞみという役は、オーデションでやろうという企画もあったのですが、いつの間にか立ち消えになってしまって、そのまま放送のお膳立てが出来上がっていったのでした。

いろいろなこと・・・今思えば、原作者としてのいいこと、嫌なこと、すべて初体験をさせて貰いました。それがその後、わたしが原作者となった時の、脚本化とのスタンスを、どうとることが理想なのかということを学ぶ、貴重な体験となったのでした。

放送が始まって間もなく、A出版社からその小説化という話が飛び込んできました。願ってもない話で、大いに張り切ったのですが、小説ということをあまりにも意識しすぎてしまって、さっぱり原稿が書けずに、編集担当のI氏には大変迷惑をかけてしまいました。

この時には笑うに笑えない苦労話があるのですが、そのことについては、またいつかお話しようと思います。とにかく締め切りを大幅に遅らせてしまって、ようやく1年後に、小説「さすらいの太陽」は完成したのでした。

それにしても、この作品が放送されてから、もう四十年近くもたちました。そしてその時モデルとなった演歌歌手の藤圭子は母になり、その娘である宇多田ヒカルは、ポップの世界でトップを走る大歌手になっています。

「さすらいの太陽」は時代が生んだ作品でしたが、そんなことなどを考えていると、大変感慨深いものがあります。

当時はいろいろとドラマ化の企画も持ち込まれましたが、結局それらは実らないままで終わってしまい、結局このアニメ作品だけが残ることになったわけです。

時代がどん底から新たな建設に向かう頃、頑張ったら、頑張っただけの結果が期待できた時代を象徴するように、目標を見つめて、ひたむきに夢を求めて歩きつづける少女の物語です。当時の世相の一端を知るためにも、是非、ご家族でご一緒にご覧頂きたい話ですが、小説、コミック、DVDと、ジャンルを変えて残っていますので、機会があれば楽しんで頂けるでしょう。冒頭の謎めいたシーンから始まり、サスペンスを感じさせながら進んでいきます。全体的には大変健康的で、爽やかで、夢を追っていく少女が、襲いかかる苦難を乗り越えながら、人々に希望を振りまいていく、親子でご覧になれる作品だったと思いますので、是非お勧めしたい作品です。

この作品誕生にかかわって下さった人々が、すでに何人もの方が急逝してしまわれたことは、残念でならない☆

さすらいの太陽(コミック・オンデマンド)の写真
さすらいの太陽 1の写真
さすらいの太陽 2の写真
さすらいの太陽 3の写真
さすらいの太陽 4の写真