読む世界 Faile 12 「苦しいでしょうが・・・」

作家を目指した以上、誰でも売れっ子になって、編集者に追い回される状態になってみたいと思うものです。ところが幸いにもそれに近い状態になってみると、そう、夢のような状態を楽しんでいるわけにはいきません。まして、わたしのように、テレビの脚本を書きながら、所謂ノベライズと言って、テレビ番組で人気の作品を小説化する仕事を、掛け持ちでやってきた者にとっては、大変な過酷な状態に見舞われてしまいます。しかもこうした作品の場合は、販売のタイミングを外すわけにはいきません。

絶対に締切は、守らなくてはなりません。

テレビの脚本も、多くのスタッフがかかわるだけに、とにかく、だらとした仕事はできません。しかしそれでも中には、夜になると酒を飲んでしまって、まったく仕事にならない人がいるんです。結局、彼のような者は、次第に仕事が減り、業界から姿を消していってしまいました。

その点、わたしは、約束したことは、絶対に守るほうでした。たとえ睡眠時間を犠牲にしても、食事の時間をカットしても、書き上げなくてはならない原稿は、確実に仕上げました。

ところがそんなわたしにとって、どうしても忘れられない出来事があるのです。

大ヒットしたアニメ作品である、「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズが進むに従って、プロデゥサーとの間に亀裂が生じてしまったために、これまでほとんど病気になったことがなかったわたしも、そのために胃潰瘍になってしまったことがあったのです。

医師の診断では、胃に五円玉ほどの剥落部があるということでした。

これまで経験したことのない激痛に見舞われました。そんな中で、ある人気テレビ番組のノベライズをしていたのです。しかも悪いことに、出版が迫っていて、原稿の閉め切りが迫っていたのです。

とにか激痛が襲いかかる胃のあたりを、指で押さえながら原稿の執筆をつづけていたのですが、流石に頑張り屋のわたしも、執筆不可能という状態にまでなりました。

出版社へも、その旨を連絡しました。

その時です。

編集長から返ってきた言葉は、予想外のものでした。

「苦しいでしょうが、書き上げて下さい」

遠慮がちではありましたが、何とか書き上げてほしいというものでした。

編集長は出版の仕組み、手続きなどについて説明すると、わたしが執筆を放棄することで、かなり多くの人の仕事の予定が狂い、迷惑がかかるということだったのです。

イラストレーター、印刷、営業、問屋、書店等々、一冊の本を公にするためには、かなりの分野の人がかかわり、支障がないように、流れ作業のシステムが作られているのです。 その大本である作家が筆を止めることで、その月予定していた仕事が飛んでしまうと、その人達には想像を越える被害が及んでしまうわけです。

事情を聞かされ、編集長の嘆願を聞いていると、痛む胃のあたりを押さえながらも、返す言葉がなくなってしまいました。

「何かお手伝いできるように、編集を派遣いたします」

編集長はまったく予定を変更するという気配を見せませんでした。

もうここまで来ると、やるしかないと思いました。

しかし胃潰瘍の激痛は、漢方薬を飲んでもまったく治まりません。

ついに翌朝までに、脱稿するように作業を進めることになってしまったのでした。出版社に頼りにされるということは、作家にとってこれ以上の幸せはないはずなのですが、この時ばかりは、辛い思いばかりで、とても現状を素晴らしいなどとは思えませんでした。しかしそれでも、結局原稿は、七転八倒しながら、ついに翌朝までに仕上げてしまったのでした。

幸い、胃潰瘍のほうも、手術もせずに、注射を20数本打つことで治癒することができ、短時間でテレビへの復活もできました。それにしてもあの編集長の、非情なまでの依頼ぶりは、出版社のトップを預かる者として、見上げた姿勢だと感心したものです。

お陰様でこの時の本は、たちまち売り切れて、増版を繰り返しました。地獄の責め苦を味わいながらの戦果であったことを、今でも忘れられないでいるのですが・・・。それにしても、あの苦しみの真っ最中に言った、編集長の言葉は、これからも決して忘れることはないでしょう。

「苦しいでしょうが、書き上げて下さい」☆