読む世界 Faile 15 「沈香を焚いて・・・」

作家は原稿を書く時に、まるでお呪いのようにやることがあります。自分にある暗示をかけるということなのかもしれません。

好きなこととは言っても、仕事となると、いつも楽しくと言うわけにはいきません。そこで何とか自分を奮い立たせたり、励ましたり、時には慰めながら、辛い作業に立ち向かわせなくてはなりません。そこで何とかエンジンをかける、スターターの役割を果たすようなものを、作家たちはそれぞれ独自に考え出しているはずです。

わたしはもっぱら「沈香」を焚いて原稿を書いてきたのです。

作家というと、外から見るとのんびりとしていて、ゆったりと仕事をしているように思われるのですが、そんなイメージどおりだったのは、昭和の初頭ぐらいまでだったと思います。まぁ、大雑把にみても戦後までと言ったほうがよいかもしれません。

時代が進み、テレビなどという新たなメディアが登場してくるようになると、とてものんびりとした作業をしている訳にはいきません。スピードを要求されます。そんな時代感覚の影響は、電波ばかりでなく活字の世界にまで及んできました。気が乗らなければ書かないなどといって、筆を止めてゆったりと休んでいるというような、悠長なことが許される時代ではありません。中でも多忙な作家になったら、あまりのんびりとしている時間などはありません。映像作家時代から、かなり多忙なスケジュールをこなしてきていたので、あまり悠長なことはしていられない。そんなことをしている時間があったら、せっせと原稿をかかないと間に合わなくなってしまいます。

しかし・・・原稿を書くという作業は、一見して静的な仕事のように見えるのですが、かなりエネルギーを消耗するし、過酷な仕事なのです。そんなことはないだろうと思われるかもしれませんが、実は大変な重労働だといったほうがいいのかもしれません。まぁ、あまり活力がない人には出来ない仕事かもしれません。そんなわけで、文は人なりと言われるように、体力的に弱い人は、そういった類の作風になるし、活力のある人は、そんな作風の作品を書くようになるようです。別にそんな作品を書こうとしなくても、自然にそういった発想をしてしまうし、その人なりの文体になるものです。作品にはその人となりが反映されると言われるのは、そんなことのためですね。実に微妙な仕事だということもできるでしょう。そんな訳で作家を生業としていながら、できるならなるべくいつまでも作業から遠ざかっていたい、空想を楽しんでいたいと思うものです。なるべく実作業にはかかわりたくないのです。そこで仕方なく、そんな自分を奮い立たせるために、いろいろなことを、それぞれの方法で試みて、作業を始めようとするわけなのです。

それにしても時代の変遷によって、テレビの脚本家はもちろんですが、活字の世界の作家たちも、そんな時の過ごし方に随分変化が現われました。かなり多くの作家は、ストレスを解消するために酒を飲んだり、散策をしたり、囲碁、将棋に没頭したり、昨今はカラオケにはまったりしている人たちがいるという話を聞きます。

昔のように、芸者を上げて仲間と一緒に遊んだり、仲間の文士たちと酒宴を開いていたりしながら、気持ちが高まるのを待っていたのですが、現代ではとても、そんな悠長なことが許されるわけはありません。芸者や愛人を侍らせて酒を飲み、挙句の果てに遊興費がないからといって、出版社から持ってこさせるなどというようなことはできるわけがありません。

とにかく前述しましたように、書くという仕事は無から有を生ずる作業なので、それだけに大変辛くて、苦しい思いにさせられるのです。作家たちはそんな作業に、なかなか突入出来なくて・・・というよりも、そんな苦しい作業に入ることが嫌で、なかなか気持ちが立ち上がらないのです。若い頃のわたしも生意気に、銀座の「K」、赤坂の「D」という、バーやクラブへ入り浸って、稼いだお金をほとんどそんなところへ吐き出してしまっていたほどでした。しかし年を重ねていくうちに、住むところも変わって文教地区になってしまったので、気楽に楽しみに行くようなところもなくなってしまいました。従ってだんだん酒の類から縁遠くなってしまい、きわめて健康的な生活になってしまったのです。しかしとにかく作家と言う仕事をする限り、ストレスから逃れるわけにはいきません。何とか過密スケジュールをこなすためには、何とかその過酷さに耐えていける工夫をしなくてはなりません。そんなことからわたしは、お香を楽しむようになったのです。

わたしは小説を書く時も、作詞をする時も、そんないい気分の中で作業をするようになったのでした。古来から伝わる日本の香りの文化は、かなり伝統があって香道というものが伝えられているくらいで、その道を極めるにはなかなか難しい勉強が必要になります。ちょっと気楽に楽しむと言うわけにはいきません。しかしわたしの場合は、もうちょっと気楽に楽しむことにしているので、これからもずっとつづけたいと思っているところです。とにかくわたしは、原稿執筆の最中は、必ずお香を焚くようになりましたが、それはあくまでも密かな楽しみだったので、個人的な付き合いのある人にはお話しましたが、仕事に関係する人々には、ほとんどお話したことがありませんでした。

それが或る出版社の編集長に原稿を渡した時のことでした。彼はすかさず「あっ、お香の香りがしますね」と言ったのです。これまでそんなことに気がつく編集者は、まったくいらっしゃいませんでしたから大変びっくりしました。それでもとにかく嬉しいことでもありました。これまでほとんどの場合、そうして原稿を書いていたのですが、それに気がついたのは、このY編集長がはじめてだったのでした。その時の原稿から生まれたのが、「月の帝の物語」だったのです。

原稿執筆の間、ゆらゆらと焚いていたお香が、知らないうちに原稿用紙に移っていたのでしょう。いわゆる移り香というものです。しかしとにかく、そんな密かなわたしの楽しみに、気がついてくれると言うことが、とても嬉しく思えました。

通常は白檀の香りが高貴だと言われていて、大事にされていますが、わたしはどちらかと言えば、あまり個性的で強烈な香りで、時には精神の高揚のために使うものよりも、穏やかで落ち着く香りが好きなので、だいたいいつでも「沈香」にしているんです。

もちろんアロマテラピーにも興味は持っていますが、どちらかと言うと、化学的な調合で作り出すそれよりも、やはり香木から漂ってくる香りに惹かれます。

せせこましい現代人の日常生活ですが、作家のような神経をすり減らす仕事をする人でなくても、是非、時にはお香を楽しむくらいの余裕を持って生活したいものですね☆