読む世界 Faile(30)「風立ちぬ」
わたしぐらいの年齢の者にとって、堀辰雄という作家は、特別な存在感がありました。
現代のような、自由奔放な恋などというものが、どこにも見られませんでしたし、許されているような時代ではありませんでしたから、彼の描く軽井沢での青春の物語は、高校生であったわたしたちにとっては、憧れの物語でもありました。
当時のベストセラーであったことは間違いありまん 。
それを魅力的にした、もう一つの要因は、やはり軽井沢というイメージのためでもあったように思うのです。
あの頃の文芸雑誌を愛読していたわたしなども、いろ いろな作家たちが、避暑のために集まって、ひと夏の交流を楽しむ光景が、写真と共に載せられていることがあって、その影響もかなりあったように思います。その他にも、所謂、別荘族が、高原の夏を楽しむさまざまな光景が、まるで夢のせかいでのことのように報道していました。
しかしいずれにしても、それはごくごく一部の限られた人々の楽しみであって、一般的には、別荘暮らしなどということは、とても考えられない生活でした。
「風立ちぬ」という作品を始め、堀辰雄という人は、病弱ということもあって、ずっと軽井沢をはじめ周辺の 、追分などにもすんで仕事をしていましたから、随想もそれらの土地についてのものがかなりありましたから、余計に、読者の興味は軽井沢へ向かったのかもしれません。
もちろん彼の作風が、西欧風であったことも、若い読者の気分とフィットしたということも、あったということが出来ると思ったりったりもします。
今ではアウトレットまで出来て、誰でも行けるし、新幹線まで出来てしまって、東京への通勤も可能になってしまいましたから、朝などはそうした通勤客で、軽井沢駅は、かなり賑わうほどになっています。
そのために、かなり昔の風景には変化してしまったところが多くなってしまいました。
ゆったりとした、落ち着いた雰囲気も消え失せてしまいました。
ゆとりを感じさせる別荘にも変化はありますが、何とか往時のいい雰囲気を残しているところは、まだまだあります。
町では新しくしていくところと、往時のよかったところを残そうと活動するようになりました。
そんな活動の中から見つけ出したものがありました。 その中には、若い頃夢中で読んでいた「風立ちぬ」を思い出させるものも発見しました。
それが写真にあるような標識です。
かつて別荘族が、さまざまな道筋に名前をつけて呼んでいたものも、正式な道の呼び名として復活していたりします。
わたしが仕事場として造った山荘は、その「釜の沢レーン」から行ったところにあるのですが、ここが堀辰雄がはじめて別荘を持っていたところで、近くのサナトリュームあって、そこへ入院して療養している恋人のところへ通っていたようですが、その目印になる標識も造られました。
特に若い人々にとっては、まったく関心のないものかもしれませんが、かつての軽井沢を、想い出と共に忘れないようにしようという町の努力は大事にしたいと思います☆