読む世界 Faile(32)「マニュアル考」

使い慣れたものは別ですが、昨今のように、次から次と新しいものが作られるようになると、一体、どのように使ったらいいのかと、戸惑ってしまうことが多くなりました。まして高齢になると、だんだんわけがわからないものに出くわしてしまうことがあって、文句を言っている人がよくいます。

その問題の第一は、品物そのもののことよりも、それについているマニュアルのことなのです。

昔・・・コンピュウーターが出たばかりのことなのですが、わたしも大変苦闘してしまったことがありました。

特に、文句が言いたいのは、このIT関係の商品のマニュアルについてなのですが、その説明文の何と判り難い文章であったことかということなのです。

それは当時の関係者の説明で、理解することが判りました。つまり、あの頃のマニュアルを書いていた人は、その機種の開発に当たった人々・・・つまり理工系の人たちで、所謂、文字を扱うことに長けている人々は、ほとんどかかわっていなかったということなのです。

文章によって理解して貰うということに不向きな人々たちの作ったマニュアルなのですから、読みづらいし、理解し難くても仕方がなかったようでした。

わたしたちはそのために、随分苦労したものです。

それから考えると、昨今のそれは随分進化したもので、読み易くなったものです。

昔であったら、とても理解できなかったお年寄りでも、現代では、かなりかいぜんされているように思います。

ところがそんなマニュアル全盛時代とも言える状態になると、またまた大きな問題が持ち上がって来ました。

それはお年寄りというよりも、若い人に起こって来る問題なのです。

昨今、工夫しない若者が多いということが、あちこちから入って来るのですが、その原因は何にあるのかというと、このマニュアル現世時代の影響によるのです。

何も、苦しんで、知恵を絞らなくても、マニュアル・・・つまり手引書がるので、それを読めばいいということが、浸透しすぎてしまったことによるのです。

便利になるということは、大変いいことなのですが、それに頼り過ぎると、何処かにその弊害が生まれてしまうようです。

お年寄りは別として、若者は少し辛い思いをしても、自らの知恵を磨くということに挑戦して貰いたいものですね☆