読む世界 Faile(40)「歴史の評価」

最近新聞の解説者が、歴史事件を評価するのに、現代の感覚で行うのはおかしいのではないかということを言っているのが目につきました。実は私はもう二十年も前から、つまり「宇宙皇子」という小説を書き始めた時から、そういった姿勢で書いてきましたから、同志を得たような気持になったものでした。

もう大分昔から、どうも現代の価値観で歴史を切るような解説、評論が多いのは、不愉快でしようがありませんでした。どう考えても、超科学時代の現代から見れば、過去の歴史はすべて断罪されてしまう材料でしかないでしょう。私はかねてから歴史を体感するということを勧めてきました。つまり自分もしの時代を生きる人間にして、その中で当時の人々と共に同じ時代を生き、苦しもうというのです。その中で何を為政者に訴えるべきなのか、市民たちは、何を変える努力をしなくてはならないのか、為政者、庶民の楽しみは・・・それらをすべて当時を生きる人間として、評価したり、採点したりしなくてはおかしいし、歴史を正しく見詰めることが出来ないのではないかと思っているんです。

どうかこれからは、現代の価値観で過去の歴史を断罪するような、安易なやり方は止めて頂きたいと思うのです。

歴史を体感する古都の楽しみは、その時代の人々と共に生きる楽しみにも通じるということを知って頂きたいと思うのですが、どうでしょうか。