読む世界 Faile(47)「図書館の利用」

久し振りに近所の図書館を利用することが多くなりました。

特殊な歴史の資料本を取り寄せて貰うのですが、昨今は中央の図書館から、その統括している地域の図書館から、取り寄せて連絡してくれます。大変助かるのですが、一方では不自由も起こります。かつては、それぞれの地域の図書館では見つからない本は、頼むと直ぐに、その図書館で購入してくれたのですが、現在は予算削減のためで、すべて中央図書館で購入して、それを各図書館で廻し読みをするというシステムになっています。大変合理的で、無駄はなくなると思うのですが、一冊の本を手にするためには、空きが出るまで待っていなくてはなりませんし、高価な本はなかなか購入して貰うためには、予算の問題があってそうた易いことではありません。特に専門書などは、区域を超えた大きな図書館へ行かなくては読めなくなりました。

文化的な予算がどんどん削減されてしまって、図書館というものの文化的な役割という者が、どんどん低下していくのではないかと思う昨今です。

ところで、昨今、借り入れた図書では、大分専門的にあたる本のさまざまなところに、鉛筆で線を引いてあるものが、何冊もありました。

一体、どんな人がやるのか判りませんが、公共という意識が欠落しているのでしょう。専門書を読む人は、所謂限られた知識階級だと思うのですが、そういった者がこんなことをしているようでは、情なくなってしまいます。

それにしても、各地区の図書が、内容も充実して、それぞれの地区の文化の充実を誇れるような拠点になってくれる日は、やって来るのでしょうか☆