読む世界 Faile(48)「古典を読む」

作家の色合いを感じ取るためには、その作家の作品を読むにこしたことはないということはよく判っていることですが、最近になって、どうしても古代の作品に触れなくてはならないことがあり、久し振りに古典をひも解くことになりました。

岩波の古典文学大系は、全巻揃えてあるのですが、そのすべてを読破したわけではありません。必要な時に、必要なところだけを、広い読みをしてきたのですが、最近になって、再びそれらの作品に触れる機会を得ました。

必要に迫られたからなのですが、時間をかけて、じっくりじっくりと読んで行きました。

現代とはあまりにもかけ離れている文体に、いささか戸惑いながらも、なんとか時間をかけて読んでいったのですが、確かにこうした古典の作品を読むということは、よほど特殊な仕事をしている人か、わたしたちのように高齢に達して時間的にゆとりを得た人にしか受け入れられないことかもしれません。

何と言っても、あまりにも生活の環境が違いすぎますし、感性も違い、生活のテンポも、時代の姿も違いすぎて、馴染めないだろうなとは思います。しかしこうした古典を現代語訳で読んでいると、どうもその作品世界の雰囲気が伝わってこないのです。 作家の呼吸というものが、伝わってこないのです。

そんなわけで、わたしは敢えて古典でその作品に接することにいたしましたが、時折古典古語辞典をひも解きながら、必要なところを探っていくことはもちろん、その作品の色合いというものに触れていくということは、なかなか困難なことだなと、改めて感じたところでした。

しかしその結果得た収穫は、きっとそのうち公のものとして発表できるのではないかと思っているところですが、いつかそのはるか昔の世界に浸った時間が、大変貴重なものだったなと思えましたし、作業とは関係なく古典の世界に浸って過ごす時間を持ちたいと、改めて感じたことでした☆