読む世界 Faile(55)「作家の仕事」

作家の仕事ということについて、ふと、考えるようになりました。

それはスポーツ選手が、ファンに歓迎されたり、励まされたりする姿を見ているうちに感じたのですが、同じ肉体労働をしているのに、ほとんどの作家の場合は、スポーツ選手とは、その反応の仕方にまったく違うものがあります。

昨今、やたらにパフォーマンスの様子が紹介されたりしているのを見たり、聞いたりしていますと、作家という仕事をする人は、実に地味な作業をしているのだなと、つくづく思うのです。 とても国民が憧れて、そうなりたいとも思わないし、そうしている人を援護しようという動きに万桜なりません。

恐らくサッカー出会ったら利、野球であったりという人気のあるスポーツ選手だったりしたら、その姿を見れば、しかもその人が活躍している選手であったら、支援者は続々とでて来るでしょう。

「彼らは体を酷使しながら鍛えているのだから、当然です」

多分、多くの人はそう答えるでしょうね。

しかし、ちょっと待って下さい。

話を読みながらも、作家が肉体労働なのと聞かれそうに思います。

スポーツ選手の場合は、そのトレーニング中の姿を見ても、勝負をする時の姿を見ても、その力感が、見ている人たちに伝わってきます。しかし作家の場合はどうでしょう。私たちが書いている時は、ほとんどの人が見てはいませんし、執筆前にスポーツ選手のトレーニングのような準備をしていても、まったく読者には見えません。所謂パフォマンス時代には、まったく不向きな職業といってもいいでしょう。

しかし本当は、大変な肉体労働者なのです。

一作書き上げた時には、ぐったりとしてしまうほど疲れます。 精根尽き果たすという表現はオーバーに聞こえるかもしれませんが、かなりそれに近い状態になったs利するのです。そんなわけで、あまり病弱な人には、お勧めできない仕事なのです。

スポーツ選手ばかりに焦点が合せられて、地味な作家のほうは、さっぱりなので、半ば彼岸で、こんあことを書きました。

(思わず、失笑)☆