読む世界 Faile(56)「切り抜きを楽しむ」

もの書きを目指し始めた頃化のことですが、新聞の切り抜きを始めました。

何か珍しい話題を見つけると、切り取ってきました。

それを種類によって、文学、文化、科学、歴史等々仕分けしてきました。それをノートに張ったり、箱に入れたりしてきたのです。

大分、途中で整理をして、あまり役に立ちそうもないものは、処理しましたが、今でもかなりの記録が残っています。

つい最近のことですが、書棚を整理しているうちに、懐かしいノートを発見いたしました。若い頃の創作ノートです。

その時、その時に思いついたネタを書きとめて逢ったmpのです。

それを読んでいると、あの頃はこんなことを考えていたのだなと、中には一寸照れくさくなってしまうものまでありますが、それではそこに書かれているような感性で話が書けるのかといえば、絶対にそれはありません。やはり、若い時は若い感性が活かされていて、とても現在の感性でそれと同じようなものが書けるかといえば、絶対にそういうことは、期待できません。

矢張り、年来によって、それなりの感性で書いているものです 。

もう二度と同じ完亜聖では書けません。

矢張り、その時、その時の感性は、大事に取っておくべきです。 この他に貴重な記録となったのは、その時その時の新聞の切り抜きです。それを張ったノートなどを読んでいると、昔の新聞は、さまざまな分野にわたっての特集をしているのですが、最近はほとんどなくなってしまったのだということに気が付きます。

最近は、時代の進化も激しいので、いろいろな分野にわたって、その記録には、差があります。

そうした時代の差ということを知る上でも、切り抜きは大変面白いということを、改めて感じたところです。☆