読む世界 Faile(57)「手書き、手作り、手当て」

すべてが便利になってきました。しかもすべての点で、その進化が早くて、それらを使いこなすことが、かなり努力を要する時代になって木巻いた。

すべてがかなり合理的になってきたおかげで、人の手をかけてものづくりをしたり、様子をみたりするといった、五感を活かした作業が次第に失われつつあるようです。そういう点での感性は、どちらかというと、鈍感になってきているのではないでしょうか。むしろそんなものは排除して、進化する科学技術を駆使して処理したほうが、能率的でいいという時代になってきたようです。

そこで、ふと気がついたことに、「手書き」「手作り」「手当て」といった、わざわざ「手」を使う作業のことがあります。

次第にそうしたことへの関心が薄れていってしまうように思えてなりません。

昨今はかなりコンピューターが普及してきたのと、IT産業の普及で、文章を書くにもコンピュウターのお世話になることが多くなってきました。

私も手書きの原稿は、30冊ほど大事に保存してありますが、それ以後はほとんどコンピュウターのお世話になっています。確かにいい面はかなりありますが、その反面、不都合なこともかなり出てきてしまいます。

編集者もかつては手書きの原稿を受け取るので、大変緊張して受け取っていきましたが、最近はちょっとした間違いで原稿を失うようなことがあっても、もう一度プリントして貰いさえすれば問題もないし、何の支障もないので、かなり緊張感は薄れてしまったようですね。そういう点では、手作りのものに対する価値観も薄れてきてしまっているのではないでしょうか。お豆腐やさんが、一丁のお豆腐を作るのに費やす手は、大変なものですが、その割りに価格はそれほど高いものではありません。そうしたことから思いあたるのは、最近のお医者さんは、あまり患者の体に手を当てて様子を見るということをしません。データーで出た記録を見て判断していますが、やはりそれだけでは不安になってしまいます。

こんなことなどを、もう一度考え直してもいいのではないでしょうか。

沢山残っている原稿用紙を見つめながら、手書きであった頃を思い出したので、書いてみました☆