Horace Silver The art of small combo jazz playing, composing and arranging

p-5

 

Published by Hal Leonard

翻訳 横浜モダンジャズクラブ

 

5−20 自身のオリジナルスタイルを創る

神は個性のひらめきを万人に与えられました。自然にそれが現れるように思えて探す必要の無い人もいます。そうでない人は、個性のひらめきを見つけて磨き上げるために自分で探し出すのに時間を掛けなければならないかも知れません。一つ確かなことは、それが既に見つかっているか磨き上げられているかどうかは別にしても我々みんながそれを持っているということです。自分のスタイルの追求は大変個人的な問題で誰も助けてあげることができません。一流ミュージシャンからの啓示を受けてその影響を受け継いだ後、自分のオリジナル手法あるいはスタイルを見つけ出すためにその影響を脇に除けなければならない時がきます。その時は自分の演奏の中からほんのわずかなオリジナリティをも探して、それをさらに進歩させ磨き上げる努力をしなければなりません。時間、練習、自分の能力に対する自信が増すにつれてあなた固有の個性的スタイルは明らかになり始めるでしょう。自分でそれを聴いて、さらに世界で聴かれるようになる。何という喜びではありませんか。

 

5−21 ソロは何コーラスとるべきか?

ジャズの歴史の中で、一流のソロプレーヤーはみんな時間的に少ない空間に深遠な音楽的声明文を作ることが出来ました。どれだけ長く演奏するかということではなく、あなたが演奏する時間的空間において何を演奏するかと言うことです。聴衆の時間的注意力は限られています。あなたがソロをとる同じ曲で多分他のミュージシャンもソロを取ることになることを思い出してください。彼等が演奏するための時間を残して、自分勝手なエゴを控えて全体のソロのための時間を独り占めしないこと。聴衆を退屈させる危険を冒すだけでなく、仲間のソロプレーヤーの反感を買います。自分の楽器で演奏テクニックをマスターするのは素晴らしいことですが、それを誇示してはいけません。与えられた時間的空間の中でいかに速く、あるいはいかにたくさんの音を演奏するかということでは無く、本当に聴くに値するソロに具合よく込められたフィーリングと独創的な鑑賞力です。

ハーモニーとリズムは自分の大いなる魂を込めて試して見なければなりません。アドリブのクライマックスを超えてソロをし過ぎるソロプレーヤーがたくさんいます。そのため、聴衆と仲間のミュージシャンに退屈が生まれます。では、何コーラス演奏したら良いのか?何かを組み立て訴えるために、クライマックスに到達するのが多くなればなるほどコーラスは長く続きます。しかし、いいですか、一流のマスタージャズ、ソロプレーヤーはみんな短い時間の中でこれをすることが出来ます。演奏のし過ぎにより聴衆と同じようにバンドの仲間みんなを名演奏から引きずり出してしまいます。自分が先のときは止めることを覚えてください。言い換えれば、自分のクライマックスに行き着いたら止めるということです。何かを訴えているのでなければそれ以上ソロを続けてはいけません。余裕を持って止めて他の誰かにソロを渡してください。前に述べたことで繰り返しになりますが、自分のハーモニーを知ることはごきげんなアドリブのために欠くことのできないことです。

 

5−22 ソロプレーヤーの冒険

ハーモニーとメロディに心して鑑賞力を広げることを常に追求してください。アドリブのイメージを構成するときに生じるアイディアをモノにすることを恐れずに思い切って前に進んでください。キーボードから自分の楽器に移し変えられ覚えたハーモニーの蓄積に対する湧き上がる思いから、このハーモニーを試すという時点で偶発的なチャンスではなく美しい、実際の、和音的に正確な経験となります。

若いジャズミュージシャンの今日の能力は昨日のものと同じではありません。このことは若いジャズミュージシャンをこき下ろす意味ではなく、彼あるいは彼女を大いなる高みにまで導くことを意味しています。あなたの先人たちが、彼等に代わる大きな足跡を残してくれています。先人たちが訓練を実践していつのパフォーマンスにおいても一貫性のある高いレベルのソロを聴かせられるよう努力し、維持してきた立派なミュージシャンシップの資質を維持するよう努力してください。その努力は聴衆の喜びと同じように自分自身の喜びになるでしょう。

 

6.作・編曲編

6−1 作曲

  作曲を教えることは出来ないと思います。作曲に関する注意事項を教えては貰えるだろうけれど作曲そのものを教えて貰うことはできません。作曲家のやり方を学ぶことは出来ますが、いかに作曲をするかということは自分で学ばなければなりません。そのための才能をあなたが持っているかどうかということですが、もし作曲をする天性の才能を持っているとすれば、自分の練習時間を増やして訓練によってその才能を最大限伸ばすことに邁進しなければなりません。先ず自分の好きな作曲家の曲を勉強してください。そしてそれを分析します。いくつか彼の手法を取り入れてそれを自分の方法で書き直して見ます。そっくりそのままコピーをしてはいけませんが、「自分のオリジナルを」と頑張っている間はその影響を受けながら感じを掴み取って行きます。

  インスピレーションは我々を取り囲む生活の中にあるすべてのものから湧いてきます。日々の生活における経験すべてに対して心を開いて、作曲する際に最も深い意味を持つことになるこの経験をインスピレーションのために役立てるのです。また、聴いたことを自分の頭に書き留めることが出来る十分な音楽的知識を持たなければなりません。メロディ・ハーモニー・リズムを含めた作曲全体を聴いて記憶することは実際良くあることです。ピアノに向かって耳で探し当てたものを書き留めればよいのです。作曲は断片的になることが良くあります。リズムパターンを創ってそこから先へ進むこともありますし、興味をそそる一連のコード進行を決めてから作曲を完成させることもあります。時にはメロディが頭の中にあふれることもあるでしょう、そうした時にはメロディに合う正確なハーモニーとリズムを見つける努力をすることになります。順序はどうあれ作曲の創造的な課程に関わることはどれをとっても、いつでも虜になってしまいます。

作曲を終えてそれに満足し、すべてうまく出来ているようであれば翌日あるいは2日後にそれを演奏してテストします。その上で自分の作曲に喜ぶことが出来れば良い作曲が出来たと感じられるでしょう。満足できない場合には書き直しにかかるか、あるいはスクラップにしてしまうかです。

  作曲においてありふれたものでなくかつ簡単なものということになると適えるのは非常に難しいことですが、簡潔さを一度達成すれば聴衆の心に残り楽しめる作品をミュージシャンに演奏させて上げられるばかりでなくマスターするのにさほど難しくない作品をたくさんもたらします。このことは作曲において冒険的であってはならず、また平均的なものと変わっていてはならないということを言っているのではありません。平均的なものからの変化は、その変化が聴衆あるいは演奏するミュージシャンにとってあまり難しいものでない限り聴衆の興味を掻き立てることはミュージシャンと同様です。

 

6−2 編曲

少人数のジャズコンボのための編曲をする際はハーモナイズに特別慎重にならないといけません。編曲をするための何種類かの楽器がありますから、その少人数のサウンドを出来る限り大きく響かせるようなハーモニーをそれぞれのコードから取り出して選ばなければなりません。これは自分の耳と判断力をどう使うかという問題です。それぞれのコードに同じ音程のハーモニーを使うことばかりに気をとられないように全曲にわたり注意すること。自分の耳、判断力そして趣味を一番豊かに、一番美しく聴こえるハーモニーに向けましょう。曲全体を通して同じ音程のハーモニーが一番良く聴こえる場合があるかも知れませんが、これがいつも正解であるとは限りません。少人数コンボの編曲をする場合で、少数の管楽器グループのハーモニーを探るときピアノでベースライン(コードの基音)だけを鳴らしてみることはどのハーモニーが一番豊かに聴こえるかという解析ができる良い方法です。ベースラインだけで一番豊かに聴こえるハーモニー(ハーモナイズしようとするコードの和音を鳴らさない時)はピアニストがコード和音を鳴らしたときには確かにより豊かに聴こえます。

少人数のジャズコンボのための編曲をする際は「もしピアニストがセッションに出て来なかったとしてもこのアレンジで程よく豊かに聴こえるだろうか?」と、自分自身に問うべきです。答えがイエスであればその編曲は少人数コンボにとってそれなりに豊かに聴こえるものです。答えがノーの場合は、その編曲を急遽リハーモナイズすることになります。メロディラインすべてをハーモナイズする必要はありません。自分でアレンジする部分を選ぶか、あるいはその内のある部分をユニゾンで書くか選べば良いのです。カウンターポイント、カウンターメロディあるいはカウンターハーモニーを使うことを選んでも構いません。伝統的手法がふさわしい時とそれが煩わしくなる時があります。どう選ぶかはあなたの判断によります。

使用するコードに関係している限り、不協和音を恐れないで下さい。多少奇妙に、しかし美しく聴こえるそのコードに関係する響きの良い不協和音があります。それから、奇妙に聴こえるだけでどのコードにも関係しない響きの悪い不協和音もあります。人生の問題に大変よく似てすべての不協和音はどうにかこうにか解決することが出来ます。不協和音を和声上解決させる方法を探し出す作業は常に大変楽しいものでしばしば音楽的な示唆を得られます。多少奇妙ではあるけれど美しく聴こえ、使用するコードあるいはコード進行に関係する響きの良い不協和音が私は好きです。

拍子記号あるいはリズミックビート、どちらを使おうと自分がアレンジしようとする曲の雰囲気に当てはまったものでなければなりません。自分のメロディ、ハーモニーをアレンジする際、リズムのアイディアを後になって変えたくなるかも知れませんが普通は自ずと分かるものです。大事なことは自分のリズムのアイディアがメロディとハーモニーに矛盾していないことと、同時にそれらの価値を高めて推進させるのを確実にすることです。そうすればあなたのメロディとハーモニーは聴衆の身体、心そして魂に行き着くことが出来ます。

 

<イントロダクション・間奏・伴奏・シャウトコーラス・コーダ>

作曲や編曲でイントロダクションあるいはヴァースを書いて使うことは間奏、伴奏、シャウトコーラス、コーダと同様個人的な趣味の問題です。自分の曲や編曲にこれらを付け加えて使用するのであればそれを使うことによりその曲の価値が高まると心から感じていなければならず、それを付け加えることだけが目的であってはいけません。

イントロとヴァースはメロディの点でも和声的にもテーマメロディにスムーズに導かれるべきものです。バックグラウンドの伴奏はその曲の価値を高める場合にだけ使用されるべきもので、決してメロディ、歌手、ソロプレーヤーを邪魔するようなことがあってはいけません。

間奏はソロプレーヤーあるいは歌手を紹介するために、あるいは作品のひとつの展開からもうひとつの展開へ、ひとつの雰囲気から他の雰囲気へ移るのに使うことが出来ます。間奏は通常作品のある展開からもうひとつの展開に導く短いフレーズで、ひとつの展開から次の展開へと価値を高めながらそして新しい構成を紹介しながらメロディックに、ハーモニックに流れるものでなければなりません。シャウトコーラスはその曲をクライマックスに持ち込むためにはずみを付けることが必要だと感じたときに使います。シャウトコーラスはオリジナルテーマの変奏でありメロディアスでなければならないということも覚えておきましょう。通常、ハーモニー構成もその曲のオリジナルテーマの枠の中で書かれますが、絶対的ルールである必要はありません。シャウトコーラスにまったく異なるハーモニー構成が使用される場合、長い間奏の性格を呈します。コーダは自分のメロディがぶっきらぼうに終わってしまうと感じるか、コーダを付け加えることにより編曲の価値を高めると感じた場合に自分の判断で使用されるべきです。コーダはメロディ的にも和声的にも作曲と編曲に矛盾しないこと。釣り合いの取れないものを無理やり試みてはいけません。自然に流れ、聴こえ、そして感じられなければそれを使わないで反故にするか別のものを書くことです。

 

6−3 作曲・編曲とメロディ・ハーモニー・リズムの関係

<メロディ>

メロディは楽しく覚えやすく、簡単に記憶でき、魂を高揚させるべきもので、美意識と深みを備えているべきです。メロディを演奏者が作り変えるべきではありません。たくさんの異なる方法で解釈されることが出来ますが作り変えられるべきものではありません。メロディは人々を高揚させ、音楽で彼らを包み込んでより幸せでより愛情深い存在へと導かなければなりません。

<ハーモニー>

ハーモニーはメロディを支える基礎であり、正確でその役割を果たすものでなければなりません。ハーモニーの変更がメロディ解釈の価値を高めると感じたとき、メロディの下のハーモニーは与えられたオリジナルから作り変えられることがあります。これは作曲家と同様そのメロディに対しても吟味と多大な敬意をもって行われなければなりません。「作曲家はこの変更を喜んでくれるだろうか?本当にメロディの価値を高めているだろうか?」と自分に問いただして下さい。美しいハーモニーはメロディの価値を高めるだけでなく聴衆の心と魂を最高の美しさで満たします。

<リズム>

ある曲に対して選択されたリズムがそのメロディとハーモニーにふさわしいものであること。このことは作曲家の判断によることですが、しばしばその曲の演奏者の解釈の違いにより変更されることがあります。リズムはその拍子によって我々の身体を動かし、ダンス、エクササイズさせたり、あるいは精神的に楽しませたりします。

 

 

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