[ 第2話 ] |
それは八畳ほどの部屋だが、ベッドにデスク、少しばかりの調度類で、もう少し狭く見える。
膝に手を置き、目の前の一点を見つめて身じろぎひとつしない。
モニタールームに入ってきた教授が静かにきく。 「相変わらずですね。我々には心を開いてくれません。」 「ノル・アドレナリナンは?」 「依然高いままです。9時のセロトニナンの投与も一時的な効果しかありませんでした。」 「そうか...」 そう言って教授は目を閉じた。 「ゆうべ、彼女が言ったんだよ。 『私はいったい何なんでしょうか。』ってね。」 「? それは自分の存在に疑問を持ってるってことですか?」 「どうやらペルソナの連中が何か吹き込んだらしくてね。」 「あの、愛情量がどうの言ってる宗教団体の?」
「それにしても、今の状況でそれはマズイですね。」 「そう、とてもね。」 その時モニターの中にひとりの青年が入ってきた。 それに気付いた所員がモニターを見ながら言う。 「こうなると、あいつだけが頼りですね。」
「どうしたんだい? いつにもまして元気がないじゃないか。」 これには彼女、ちょっとムッとした様子。 「失礼ね。自分で出した結論にちょっと落ち込んでるだけ。」
「ううん。耕平さんじゃダメなのよ。」 「そう言われると余計気になる。」 「結論は教えてあげるわ、後でね。とりあえずお昼しましょ。」 「あ、あぁ。」 もともと昼食を誘いにきた耕平の返事で、二人は部屋を出ていった。 再びモニタールーム。所員の戯言。 「どうして耕平だけは普通に接してくれるんですかね?インプリンティングでしょうか?」 「彼女が目覚めて最初に見たのは私だよ。それに彼女は刷り込みなんぞせんよ。」 「そりゃそうですね、あはははー。」 15時。 医科学検査室から出てきた香織をドアの前で待っていた耕平がつかまえる。 「よっ」 「またさぼってる。」 「違うって。 教授が今日はもうオフでいいってさ。」 「耕平さんも?」 「それは聞いてないな。」 「やっぱりさぼり。」 「いや、”結論”てのが気になってね。」 耕平は気軽に言ったのだろうが、香織は顔をくもらせた。 「え? そんな落ち込む結論?」 「知りたい? どうしても?」 ちょっとためらいながらも言う。 「ああ、知りたいね。」 「そっか。・・・これまでか。」 「?」 「じゃ、私の生まれたところに行きましょうか。」 「調整室か? あそこってロマンのカケラもないぞ。 って、おい、待てよ。」 先に歩き始めた香織に追いすがる。 調整室は危険物が多いため、最も離れた区画にある。 また、2体目の調整準備は完了しているが開始されてはいないため無人である。 研究区画を出たところで香織は話し始めた。 「耕平さん、私は何?」 「えぇ?」 耕平は、いきなりの問いの意味を計りきれずに問い返す。 だが香織は自ら続ける。
耕平はいつもと違う雰囲気を感じながら答える。
「そう、問題はそこ。」 「だろ?」 「私が隣人として暮らすには、まわりもそう見てくれないと成り立たないのよ。」 「?」
「おいおい、なんのことだ?」
「じゃ、じゃぁ一旦機能停止して、10年後に再起動すれば...」 「ほら、やっぱり私は”物”なのよ。」 「い、いや...」 言葉に詰まる耕平。 「ね?一番の問題は当人がそれに気づいていないってこと。」 香織、続ける。
「だから、ここの調整施設を破壊します。」 「な?」
「ちょっと待て、本気か? 第一どうやって?」 耕平は冗談にしたいらしい。
分子生物学のオキテに従い、人工的な生体を扱う施設はバイオハザードに備えて外界とは隔離される。 ここの調整室も完全に独立した区画であり、内部の災害に対して耐久力を持つ構造をしている。 さらに区画を第1室〜第3室に分け、第3室は特に危険度の高い資材の貯蔵庫になっている。 そのため、内部に何かあった場合は脱出は難しい。 「その方法だと、香織も無事じゃすまないぞ。」 耕平の声にも、少し真剣みが混じっている。
「すべて計画済みってことか。」
「ほほぅ。」 少し怒りが入る。
理解したわけではないが、耕平には言葉が見つからない。 「この半年、あなたのおかげで楽しかったわ。」 そう言って調整区画に足を踏み入れ、耕平を振り返る。 「冗談にしちゃキツイ話だな。」 そう言いながらも顔は笑っていない。 数mをおいて見つめあう二人。言葉はない。 秒針が一回りもするころ、少し照れくさそうに香織が別れの言葉を言う。 「じゃあね。」 言葉じりにはもう走り出している。 ほんの10歩先にあった調整室のドアをくぐってロックする。 「開けろ!香織!」 ギリギリで追いつけなかった耕平はそう叫んでドアを連打する。 もう耕平も、これが冗談や酔狂でないことははっきりと感じていた。 そして、時間がないこともよくわかっていた。
「モニタールーム、緊急だ! 香織が調整室を燃やそうとしてる! ロックを外してくれ!」 緊急用のために全館のスピーカーに流される。 セリフの最後は火災警報と重なっていた。 モニタールーム。 誰もいない。食堂の自販機コーナーから当直所員が慌てて駆け出してくる。 精神科カウンセリングルーム。 「いかん、もうそこまでいっとったか!」 教授が机を叩きながら立ち上がる。 1秒を1年にも感じながら待つ耕平に、やっと返事がくる。
少し感電しながらも、手早く言われた通りにする。 その間にも、ドアの向こうから小さな爆発音が聞こえてくる。 「開かないぞ!」
入室チェック用のコンソールのキーをたたく。 ロック解除の音と同時にドアを開け放つ。 耕平は熱風を予期して身構えたが、室内は意外にも下火だった。 しかし、室内に入った耕平は愕然とした。 第1室と第2室の間の防護シールドが、もう降りているのだ。 香織は、入口はすぐに突破されるだろうことを予期して、わざと第1室は下火にしたのだ。 防護シールドは火勢に差のある部分にだけ降りるようになっている。 「香織ぃー」 透明なテクタイト製の防護シールドは、燃え盛る炎の中でなおマテリアルタンクを開放している香織の姿を見せる。
手を止めて静かに立つ。 そこへ教授や他の所員が駆けつけてくる。
「やめるんだ香織君。何を言われたのかはわからんが、答えを急ぐことはない。君は君だ。」 教授がインカム越しの説得を続ける。
香織がため息をついたように見えた。 「あのね、教授。ここを全部燃やしちゃうのが目的なの。」 スピーカーから香織の声が聞こえる。
「・・・」 教授に言葉はない。
「なに?」 驚く教授。 「私の妹や弟がもっと ザッ 小爆発とともに第2室のインカムの回線が断裂したようだ。 両膝をつき、うなだれていた耕平が反射的に顔を上げる。 香織と眼が合う。 だが香織はすぐに眼をそらして後ろを向く。 そして、第3室のドアを開ける。 「やめろー!」 耕平の叫びだ。 聞こえるはずはない。 しかし、立ち止まって振り向く。 少し微笑んだように見えた。 彼女の唇が動く。 ・・・ なんと言ったのだろう。
そして。 轟音。 シールドはかろうじて持ちこたえた。 翌日。 焼け跡から遺体は発見されなかった。 爆発で四散して炭化したのだろうということで、それ以上の捜索は行われなかった。 この事件によりプロジェクトは活動を停止した。 彼女の望みのとおりに。 そして10年後、人間社会の意識は少し変わっていた。 それは彼女のおかげかもしれない。 |
−あとがき− ちょっと洒落にならない話かも知れませんが、A7たちが幸せに暮らせる背景には必要なのではと思い、書きました。 でもなんだか長い話の最後だけ抜き出したみたいで真意が伝えられるのか不安ですが(笑)。 なお私自身、ハッピーエンドじゃない話は嫌いです。だからこの後...。 |
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