[ 第11話 ] |
「ほら、入りなさい。」 山端教授に促されて一人の女性が戸口に立つ。 「えーと、はじめまして。」 そう言ってお辞儀をしてから、ちらっと傍らの教授を見る。 これでよかったのか不安なのだろう。 教授はそれでいいよと言うかのように紹介する。
そう言う相手はもちろん初瀬野教授である。 あの日、教授にA7の一体が託されることが決まってから半年あまり。 A7は通常、調整槽で十ヶ月かけて育成される。 そしてようやく昨日、目覚めたばかりの彼女がそこに立っている。 白いブラウスに紺のタイトスカートといういでたちだ。
「や、はじめまして。初瀬野です。」 テーブルの向こうから歩み寄りつつそう言って右手を出す。 「どうぞよろしく。」 「あ、はい、よろしくおねがいします。」 緑の髪を揺らして慌てて応える姿は結構かわいらしい。 ソファに座って、山端教授が話を進める。 「さて、送っといた資料は見てくれたか?」
持ってきていたファイルのひとつを揺らしてみせる。 「まあそうだ。そのつもりで教育してくれていいよ。」 「おまえもわしの作ったカリキュラムは見たのか?」 「あぁ、連れまわされそうになくて安心してるよ。」 笑って応える。
初瀬野教授が彼女の名前につまると、山端教授が不可解なことを言う。 「そういや、名前はどうするんだ?」 「? なんだ、まだ無いのか?」 「...資料の中に”決めとけ”って書いてなかったか?」 「どこに?」 ちなみに資料は全部で電話帳4冊分くらいある。 「.....」
「すまないが、もう少し待ってやってくれるか?」 代わりに彼女にあやまる。 「...。」 言葉はないが、見るからに残念そうである。 実は昨日目覚めた三人で、二人は既に名前が決まっていて、彼女も今日を楽しみにしていたのだ。 身に憶えがない初瀬野教授もその様子に慌てる。
「は、はい。お願いします。」 教授の慌てぶりにかえって恐縮する。 場が静まってしまったところで、山端教授が事務的な話にうつし、 一応資料に書いてはあるが、重要なポイントをかいつまんで説明がなされた。 なお、自分についての話がされているにもかかわらず、彼女の関心は応接間の内装にあるようだった。 そして一通りの手続きが完了する。
「もちろん今日だ。ここには、わしが送り迎えしよう。」 「おお、ずいぶんな入れ込み様だな。」 「まぁな、この歳で家族が増えると思うと結構うれしいもんだよ。」 「あぁ。ま、その気持ちはわかるな。」 それは山端教授も二年前に味わっている。 「よし、それじゃよろしく頼むよ。」 「まかせろ。」 初瀬野教授も結構な意気込みである。 「まず、スカートでは膝をそろえて座ること。」 「?」 いきなりで意味をつかめていない彼女に、初瀬野教授が実演してみせる。
あまり見たくないが、わかりやすくはある。 「あぁ、はい。こうですね。」 ようやく理解して、こぶしふたつ分も開いていた膝を閉じる。 彼女は見た目は二十歳過ぎぐらいだが、それに似つかわしくない幼さもずいぶんあるようだ。 このことにしても、どうしてそうするのかは未だわかっていないだろう。 そして初瀬野教授もこう思う。
このあと、準備に一旦戻った彼女を待って、二人は研究所をあとにすることになる。 彼女を待つ間、両教授でこんな会話が交わされてた。
「何をいまさら言っとるんだ。」 「オレは娘を嫁にやる父親の気持ちがわかるようで、嬉しいんだか悲しいんだかなぁ。」 すっかり親ばかの山端教授であった。 初瀬野家まで、クルマだとずいぶん遠回りになって小一時間ほど。
クルマの中では、ずーっと彼女の『あれは何?』攻撃にあっていた。 で、到着。 「さぁ、上がってくれたまえ。」 「はい。」 彼女も教授には結構慣れたようだ。 そして、教授に続いて、玄関からすぐの所にある座敷に入ろうとしたとき。 奥の御勝手からコーヒーカップを手にした男性が現れる。 !! お互いを認識して固まる二人。 「.....」 「.....」 立ち尽くす彼女を不審に思った教授が板の間に顔を出して、彼女の視線を追う。 「なんじゃ、帰っとったのか。」 そう、彼が初瀬野教授の息子である。 「誰?」 彼女を目で指しながらそう聞く。 「前に言ったろう? A7がうちに来るって。」
「そうだ。」 「ほぇぇ...」 驚嘆とも感嘆ともとれる声を漏らして彼女を見る。 爪先から頭のてっぺんまで見る。 当の彼女は少し頬を染めて教授の後ろにあとじさる。 「こらこら、そんな風に見るやつがあるか。」
「え?」 「彼女は...あ、いや、何でもない。」 彼女の身体機能のことを言いかけるがやめる。
「はい、はじめまして。 よろしくお願いします。」 彼女も慣れてきたのか、慌てず丁寧に挨拶する。 「名前は、その、まだ無いんですけど。」 と、教授を見る。
「ふぅん。」 名前が無いということがピンとこないのだろう。生半可な返事である。
「ええっ? それって茶碗とかタオルとか、布団...はあるか。」 ここで顔を寄せて小声になる。 「ひょっとして下着も?」
「あ、じゃさっき父さんが言いかけたのは...」 「まあ、そういうことだ。 手、出すなよ。」 「...はいはい。」 溜め息をつきながらもその顔は、『父さんみたいに器用じゃないって。』と言っていた。 「じゃあ、行こうか。ええっと、...」 彼女の顔を見て、父親に向き直る。 「父さん、やっぱり名前が無いってのは困るよ。御近所に紹介するときだって...。」 「ぬ、やっぱりそうか。」 「君だってそうだろ?」 彼女に尋ねる。
そのセリフに教授はとてつもない焦りを感じた。 そして急いで頭をひねり始めるが、その必要はなかった。
「はい!」 彼女も元気よく返事する。ずいぶん嬉しそうだ。 「おいおい、そんな安直な。」 「ホントの名前が決まるまでだよ。」 「まぁしょうがないな。」 彼女の喜び様を見て、教授も渋々賛同した風だったが、実は、
なんて思っていた。
|
−あとがき− M2アルファさんが初めて初瀬野家に来た時の話です。 名前って表面的なことのように思えても結構大切なんですよね。本質を表してるわけではないにせよ、自分の位置を確認する一番身近な手段で。 だから、本編でアルファさんが言うように呼び名が定着してしまうシチュエーションは、こんな話ぐらいしかないんですが、”ホントの名前”がジュゲムジュゲムみたいだったりする可能性もなきにしもあらず。(笑) あぁそれと、初瀬野教授に代わって弁明すると、”決めとけ”って資料はホントに手違いではさんでなかったんです。 もひとつ、オーナーの名前はもちろん創作です。本編ではたぶん語られることはないだろうと踏んでつけてしまいました。話の展開上言わないわけにはいかなかったもので。(笑2) |
masterpiece@eva.hi-ho.ne.jp | BACK |