[ 第16話・第2章 ] |
左舷分生三室のドアをバーニィがくぐってくる。 部屋の中では女性が一人、顕微鏡を覗いている。 しかし、彼が入ってきたことに気づいていないようだ。
そのまま気配を殺して彼女の後ろまで忍び寄り、 そして、おもむろに人差指で彼女の背筋をなぞるのだ。 「な゛!!」 小さな悲鳴を上げて、身体を硬直させた彼女は、それでも一瞬あとには左エルボーをたたき込んでいた。 いや、そのつもりだった。 彼女の左肘は、ステップバックしたバーニィの白衣をかすめただけ。 だが、そんなことには動じず、身体をまわした勢いのままストゥールからすべり降りた彼女は、 左右中段から右上段蹴りへつとつなぎ、左後ろ回し蹴りをくり出す。 見事な連続である。 ところが、そのことごとくを紙一重でよけきるバーニィ。 まるで楽しんでいるかのようだ。 そんな彼の顔に闘争心が失せたか、彼女も動きを止める。 ジッと対峙する両者。 自然体に立つバーニィだが、よく見ると白衣のボタンがひとつ、とんでいる。 「ふっ 腕を上げたな。」 作者注)これはアウトサイドストーリーです。 「ちっがーう!」 言いながら彼女が、手近のシャーレを投げつける。 「でっ」 寒天地が緑色に染まったシャーレをよけて、中身を散乱させるわけにもいかず、 慌てて受けとめる。 が、彼女は二発目を投げようとしている。 「わぁ、待てまて!」 彼女のもとに飛んで行き、二発目をもぎ取る。 「おまえ、仮にも研究者がこーゆーの、投げていいと思ってるの?」 そう言いながら両手にシャーレを掲げて自分の前に立つ、この馬鹿をどうすべきか迷う彼女だったが、 思いっ切り、足を踏んづけるだけにしておいた。 「それで、何の用なんです?」 ストゥールに腰掛けなおした彼女が、ちょっとトゲのある声で聞く。 だが、シャーレを持ったまま妙な一本足ダンスを踊る馬鹿は聞いちゃいないようだった。 「.....」 「帰れ、このっ」 そう言われて、部屋から蹴り出されたバーニィは、それでもドアにすがりつく。 「俺が悪かった、謝るよ、ゴメン。 だから開けてくれー。」 「.....」 返事はない。 「えっと、この間のダイエット薬の改良版ができたんだけどな。」 「.....」 「わかった。 まじめな話し、重要なことなんだ。頼むよ、ミーシャ。」 その表情は真に迫っていたが、ドア向こうの彼女に見えるはずもなかった。 「.....」 「ホントなんだ、リヒター先輩に頼んでおいた追加試験の結果を取りに来たんだ。」 「.....」 − カチャ − 鍵が解かれドアが開く。 ホッとしたバーニィだったが、彼を待つミーシャは怪訝な表情をしていた。 彼女、ミーシャはPhoenix内で生まれた、二世である。 分子生物学を専攻しており、バーニィの後輩にあたるわけだが、 船内で拳法を学ぶハネッカエリでもある。 そんな彼女が不安げな顔をして、バーニィを顕微鏡の所まで連れていく。 「見て。」 バーニィが接眼レンズをあてる。 「あ、こいつは、」 「! やっぱり、あなたのだったのね。」 少し安心したように彼女が言う。 「ああ。」 顔を上げずにこたえる。 意識はもう小さな画像に向いているようだ。 顕微鏡には異なる倍率の画像が表示されており、最小倍率の画像には何でもない細胞が、 最大倍率の画像には、一部が着色されたDNA構造といくつかの配列パターンが映っている。
「6番からよ。」 顕微鏡の試料とカメラは密閉されたシールドルームの中にある。 バーニィは手元の操作で、それらをいくつか入れ替えては見比べている。
「そうだな、たぶんF因子をねらって働くんじゃないかと、にらんでるんだがね。」
Phoenix生まれの彼女らしい意見か。 「そうか、それで俺に気づかなかったんだな。」 「まーね。」 怒りがぶり返したのか不機嫌な声だ。 「言っておきますけど、完っ璧にセクハラですからね!」 「うっ だから謝ってるじゃないか。 おまえにあんなスキがあるの、めったにないから...」 顔を上げて、慌てて弁明する。
「.....」 バーニィが真剣な顔つきに戻る。 「...いや、これは俺が造ったんじゃないよ。」 「? どゆこと?」 「第一牧場の牛から採取した、」
ミーシャが目を見開いて驚く。 「いや、人間は感染しても発症しない。」
ミーシャは少しホッとするが、バーニィの顔つきは変わらない。 「それだけじゃないよ。 20番のは麦なんだ。」 「.....?」 その意味をすぐには把握できない。 「...で、でも、動物も植物も一緒に発症するウィルスなんて聞いたことないわ。」 「こいつは特別なんだよ。」 「...からかってる...わけじゃなさそうね。」 それは彼の顔つきからもわかる。 「牛も豚も産まれないし、麦も米も、今あるやつを食っちまったら、それっきりだ。」 「.....」 「.....」 そのときのことを想像して言葉が出なくなる。 「なんとか、...なんとかしなきゃ!」 「ああ、先輩の結果とつきあわせたら船の、」 と、いきなりドアが開く。 リヒターだ。
「これからですか?」 「ああ、モタモタはしておれんだろう。」 「そりゃそうですが。」
「了解。」「はい。」 それぞれ返事をし、すぐに準備に入った。
開きっぱなしのドアからニックが入ってくる。 しかし、いつもの場所にアルファがいない。 「この時間ならいるはずなのに。」 その場で見回してみるが、誰もいない。 タイプライターが行の途中で止まっているだけだ。
自問自答して、三度目の溜息をついたニックのイヤホンでコール音が鳴る。
そして、インカムの通話ボタンから指を離すと、もうひとつ溜息をついて足早に出ていった。 ところが、溜息をついていたのは彼だけではなかった。 書架の影からニックを見つめていた人物。 アルファである。 「ふぅ」 そしてもうひとり。
「って、何で隠れなきゃなんないの?」 強引に引っ張ってこられた彼女が、怪訝な顔で聞く。 「だ、だって、どんな顔したらいいのか...」 「え? ひょっとしてアレからずっとあってないの?」 「...」 そっぽを向いて、無言に肯定させるアルファ。 今度は明花が溜息をつく番だった。
ちょうどその時、タイプライター横のインカムが鳴り出し、 ばつの悪いその場を離れる理由を、アルファに与えてくれた。 文殊の間。 様々な設備の整った会議室である。 Phoenix各部署の主立ったメンバーがスクリーンを見つめており、 その影では指示棒を持ったバーニィが声をからしていた。
− ざわざわざわ − 座がざわめく。 そんな中でニックは、少し離れて座っているアルファの顔が、ひどく青ざめているように思えた。 評議が始まる前、四日ぶりに、はにかみながらも言葉を交わしてくれた彼女とは別人のように。 一同のざわつきを抑えて長老が発言する。 「対策のめどと猶予は?」
「そうか、ではもう片方だけが頼りか。」 Phoenixのプラントは万一のため左舷・右舷で完全に切り離されており、水や空気の循環も独立している。
「しかたなかろう。 感染源や経路はわかっているのかね?」 「経路はおそらく水と思われますが、感染源はまだ特定されていません。」 「猶予は半年ほどですが、左舷側への感染が心配ですので、尽力します。」 最後はリヒターが引き取って言う。
みな、肯定の目を長老に返す。 ひとりを除いて。 「アルファ君? いいかな?」 「は、はい。 了解です。」 「よし、解散。」 こうして、少しの不安と、半分くらいの希望をもって閉会となり、出席者も船内に散っていった。 だが、アルファだけは席を立とうともしていなかった。 「アルファ?」 他に誰もいなくなった文殊の間で、ニックが心配そうな声をかける。 「どうしようニック、」 そう言うが、ニックの顔を見ない。 声が少し震えている。 「?」 「あのウィルス、私がつくったの!」 |
つづく |
−なかがき(2)− 「パートナー」第二章、不測のウィルス発現により、バイオスフィア・バランス崩壊の危機が迫るお話です。 設定の説明でセリフが長くて申し訳ない。 なお、ターポンの中には約200haの農場・牧場があり、食料供給源になっています。 で、物語はこの後、責任をとってアルファが...?(笑) |
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